チェコフィルといえば、ラファエル・クーベリックやヴァーツラフ・ノイマン、ズテニュク・コシュラーと、スメタナらお国ものを中心にゴツい演奏を聴かしてもろうた。が、本盤のカレル・アンチェルはんは知らんかった。廉価盤で最近出会うことができ、人生の出会いの妙を感じとります。まず録音のよさ。1961年の演奏やのに、数十年後の東京文化会館のバーンスタインやロストロポーヴィチ-ナショナルSOの録音よりええのはどういうことでっしゃろ?わてのデノンDCD-1650SR+B&W704から、分離のよい弦が立体感よく浮き出るような音像を形成しますがな。目隠しして聴くと、ウィーンフィルと区別が付かんです。次に演奏のクオリティ。東京文化会館のバーンスタインは悠然として壮大、スケール感もあって、何度か聴き較べたんですけども、どうしても本盤に軍配を上げたい。どしてかいいますと、ショスタコヴィチ5番は純音楽としてのスケール感よりも、1.凍てつくような厳しい自然/人間性の阻害 -> 2.冷えきった、グロテスクでニヒルな嘲笑の炸裂 -> 3. 悠久を想わせるような深い深い冷えきった、えぐるような寂しさの連鎖の究極 -> 4. 全体主義を賛美する、人命尊重さえも無視する壮大な集団演奏、という各楽章の真意を活写する方が、リスナーに直接に訴えるもんが大きいからかもしれませんなあ。プラハの春でチェコに入っていったソビエトの戦車の列と、バーンスタインや国外追放されていたロストロポーヴィチが率いた金満、自由を謳歌するニューヨークやワシントンのオーケストラ。プラウダに絶賛されたショスタコヴィチの表意音楽について、心に訴えかけるもんが格段に違いますわ。それにしても、終楽章の解放というのは、一体どこに解放されるんでしょうか、何度聴いても分かりまへん