私は高校の時分に「運命的」な遭遇を果たし爾来シュルツの芸術の虜となって久しい。私がこの世で唯一「師」として敬愛する訳者の手になる最良の日本語によって、小説と散文詩とを無上のレトリックで融合させたシュルツの文学を味わえることは至福の喜びである。シュルツの作品世界を陳腐な形容詞で喩えるのは難しい。「沈鬱さの中に木霊す絶美の極致」の源泉は彼のもう一つの顔である「画家」ならではの精妙な観察眼に端を発する。シュルツ自身が「自分の文学と絵画は同じテーマに基づくもの」と明言している。戦禍の中で多くが失われ今日に遺された彼の画業の中心を占めるのは小説では未だ暗示の域に潜在していた特異なエロティシズムへの偏奇である。アーティストとしてのデビューとなった連作版画「偶像讃美の書(本書の表紙絵はその一葉)」に顕著なように、その濃密でグロテスクな空間では女王然と振舞う女たちの足許に跪拝する矮小化された男どもの姿が執拗に繰り返し描かれる。俗に「マゾヒズム」の一語で括られる倒錯的な図像の一群は美術史上に類を見ない強烈な個性とインパクトを放つ。ともすればシュルツ文学の「幻想的」ないしは「耽美的」側面にばかり目を奪われがちな者には必ずや大きな衝撃を与えるだろう。この「全小説」を手に取られた読者諸氏におかれてはシュルツの絵を観て欲しいと切に願う。そのためにも訳者が巻末解説で提言している通り、日本の美術界は本邦未紹介のそれら「綺想の絵画たち」に今こそ光を当てるべきである。微細の限りを凝らし迷宮の如く触れる人々全てを幻惑してやまないシュルツの「魔術的かつ自伝的な擬似神話」を読み解く秘密の鍵が確かにそこに存在するのだから。