以前からずっと探していた場所がある。東京のシンボルはどこにあるのだろうか。超高層ビルが林立する新宿副都心? 新幹線のターミナル駅である東京駅? それとも誰もが一度は昇ったことのある東京タワー? 果たしてどれが正解なのだろうか。
私が東京のシンボルを探していたのには理由がある。もしいつか東京を舞台に物語を書くことがあるとすれば、東京のシンボルから始めてみたかったからだ。東京には新宿や池袋などエリアを舞台にした物語はあるのに、東京を包含する大きな物語はない。東京はあまりにも巨大でエリアがモザイクタイルのように複雑に絡まった都市だ。これらのエリアを束ねるひとつのシンボルを見つけられなければ、物語は始められない気がした。もしかしたら時代小説における江戸は、東京をまとめるひとつの手段であるのかもしれない。だが江戸は現代の肥大化した東京を的確に捉えているとは思えなかった。
東京のシンボルを探す試行錯誤は一九九八年頃から暇を見て行った。人に会えば「東京のシンボルって何?」と尋ねてばかりいた。しかしどの答えもしっくりくるものではなかった。諸外国の首都には顔となるシンボルが必ずあるのに、東京の曖昧模糊とした顔のなさはいったい何なのだろう。ある人は、その顔のなさが巨大都市東京の特徴なのだと言った。
そんな中、私には密かに楽しみにしていた日があった。二〇〇一年一月一日、二十一世紀到来のカウントダウンの瞬間である。きっとこの日、世界中のメディアが二十一世紀の訪れた瞬間を主要都市を結んで衛星生中継するに違いない。日本人に東京のシンボルがわからなければ、外国人に見つけてもらえばよいと考えたのである。私はテレビに釘付けになった。
二十一世紀が訪れた瞬間、世界各国から祝賀の映像が飛び込んだ。ニューヨークは自由の女神から、パリはエッフェル塔から、北京は天安門広場、シドニーはオペラハウス、ベルリンはブランデンブルク門、モスクワはクレムリン宮殿前からそれぞれ熱狂する市民の映像が届けられた。そして東京は……。どの国のメディアだったか失念してしまったが、なんと浅草の雷門の前から中継していた。これが東京のシンボルなのか、と私は愕然となった。と同時に外国人でさえ捉えられない東京の顔に暗澹たる思いがした。
時は移り二〇〇三年、ヘリコプターで東京を遊覧飛行する機会に恵まれた。もし東京のシンボルが見つけられなければ『シャングリ・ラ』を新宿や池袋などエリアの物語として書く覚悟で搭乗した。
予想に反して上空から東京を見た瞬間、私はすぐに東京のシンボルを発見してしまった。眼下に圧倒的な存在を示していたのは、皇居の森である。それから目に入ったのは新宿御苑の森、明治神宮の森、赤坂御所の森だ。東京にある広大な敷地は全て天皇に関連する土地ばかりである。意外にも東京は緑豊かな森林都市の顔をしていた。
私がストレートに東京のシンボルを捉えられたのは、沖縄人だったというのも大きかったと思う。戦後の天皇タブーのバイアスがかかっていない私は、外国人と同じ視点を持っていた。上空から見た東京は威風堂々たる君主国の顔をしている。しかし多くの日本人がこの視点を無意識に排除しているのではないだろうか。東京のシンボルは森である。それは『シャングリ・ラ』の舞台が決まった瞬間であった。
皇居の森が見えないなら見える形にしてみせよう。それが東京を包含する大きな物語の入口になるはずだ。私はアトラスという未知の空中積層都市の姿を借りて、初めて東京の物語を紡ぐことができた。
もし展望台から東京を見渡すことがあれば、東京の中心に眠る静かな森を見つめてほしい。世界の主要都市のような派手なシンボルではないが、東京人は森を心に秘めて生きている。もしかしたら東京人は、世界一豊かな都市生活者なのかもしれない。
二〇〇五年 九月
池上永一
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