一言でいってしまえば、資本主義というシステムが、「生産」という建前を支えるた
めに、市場の<外部>としてシステムに編成した労働が(労働とさえ意識されずにき
たのだが)、「シャドウワーク」ということになる。それは、かつてあったが、市場の
外部に取り残された原始的労働の残骸などではなく、このシステムが狡猾に企画した
抑圧装置が稼動を始めたまさにその時に、新たに作り出された労働なのだ。それ故、
イリイチはそれらと区別するために「ヴァナキュラー」(根付いている)なる造語を作
りださねばならなかった。自立的な生活を支える再生産労働と、消費の場へ変質され
た中での無報酬労働との混同を避けるためである。これが市場(生産という概念が支
配する世界)から隠蔽された「陰」の部分。
一方、「陽」の部分については、9世紀欧州中世の修道院に出自を持つという「専門家
によるサービス」という仕掛けが分析される。結局それは、自立性を奪い、何かに依
拠しなければ生きていけない状態へ、人々を巧みに追い込み、編成する仕掛けなのだ。
国民国家と母国語の結託、言語の商品化や教育による専門家階級の再生産の仕組みも、
結局は資本制がその陰/陽を巧みに維持し、存続するための仕掛けという事だ。
世界から「離床」した資本制を、再び世界の一部へ組み込む事。それを夢見る点で、
イチイチはK・ポランニーの弟子なのだ。しかし、シャドーワークの具体的内容は
もう一つ分りにくく抽象的。