斧でかち割られて膨張した頭部をもつ死体が、こぼれ落ちた脳味噌と飛び散った血が染みついた地面にゴロリと転がっていて、死体にはウジと蝿がたかっている、そういう死臭漂う虐殺現場の惨たらしい様子が現実以上に鮮明になって言葉にされています。
今から28年前の1982年、西アジアは中東のレバノン共和国の首都ベイルートにあるパレスチナ難民キャンプで大虐殺が行われたことは、すでにジャーナリストの広河隆一の本『ベイルート1982・・イスラエルの侵攻と虐殺』(1983年)や岩波新書の『パレスチナ』(1987年、その後2002年に『パレスチナ新版』を刊行)によって詳細な事実を伝えられていますが、このときヨーロッパ人で最初にこの現場に踏み込んだのが、他でもない『薔薇の奇蹟』や『花のノートルダム』や『泥棒日記』や『葬儀』の、あのジャン・ジュネだったことはあまり知られていないことかも知れません。
私は週刊誌はなぜか読む習慣がありませんが、雑誌といえば「相撲」から「薔薇族」や「通販生活」とかありとあらゆる趣向のものを読みますが、これもまた偶然ですが、1988年の号の「インパクション」という思想・社会運動傾向の雑誌に翻訳が掲載されているのを読んだことがありました。
1982年の9月16日から18日にかけて侵攻したイスラエル軍が、パレスチナ難民キャンプを襲って民間人1,800人以上を銃火器や斧・ナイフで虐殺。男性のみにとどまらず子供・女性・老人・病人・看護師・医師など無差別虐殺でした。
ジャン・ジュネは、24年前の1986年に75歳で亡くなりましたが、ということはこのとき齢71歳。すでに70年代頃から今までのような文学的営為を中止していましたが、その前から参加していた五月革命やベトナム反戦運動などの政治活動の延長線上に、ブラックパンサー党やPLOへとより深く直截的に介入していくのでした。
その行き着いた先の果てには、それこそ言葉など何の役にも立たない、言葉などまったく無力な凄惨な現実が待っているにもかかわらず、おそらく初めからわかっていてあえて、ボロボロになった身体を引きずって、たったひとりこの世界の巨大な暴力と残酷とに対峙していったのだと思います。
その成果がこの本です。事実を伝える5W1Hにもとづいた報道の文章とはほど遠い、あまりにも感情の起伏の激しい、ときには象徴的だったり、ときには詩的で眩惑的だったりするものですが、現実を現実として正確に伝えるために、視覚的な言い換えや、聞こえざる死者の声やその場の死臭を主観的に表現して何が悪いのかと思います。
ついにジャン・ジュネは、今まで誰も到達できえなかった究極の表現を私たちに残して、売春婦の母から生まれて麻薬にまで手を染めた必然の犯罪者としての前半生を超克して、きっちりチャラにするどころか、あまりあるものを創造してこの世を去っていったのです。
記述日 : 2010年10月26日 12:32:15