ヘルフゴットはユダヤ系ポーランド移民の両親を持ち、幼い頃から父の手ほどきでピアノを始めた。
神童と呼ばれるも、父親は幼い頃からデイヴィッドの精神に何らかの障害があることを感じ取っていたらしい。
映画では行き過ぎた家族愛、もしくは自らの音楽への固執にとらわれてデイヴィッドの米国留学を止めたように描かれているが、真偽は定かではない。
「認識機能障害」(不安神経症の説もある)が本格的に発症して精神病院に入院したのは、パースに戻り最初の結婚生活が破綻した20代中頃のこと。
それから10年以上の精神療法を受けることになる。
その後、パースのワインバーで演奏し、占星術師のジリアンと再婚することで再び彼は表舞台に登場したことは、映画のとおり。
90年代に入り国際的な活動を本格化した彼に対して、技巧面での弱さを指摘する声は多いらしい。
しかし、これだけの人生を歩んでなおピアノを通じて、人々に音楽の素晴らしさ、
楽しさを伝えようとするデイヴィッドの前には、そんな批評は無意味だ。
僕が最も好きなシーンは、ワインバーに古びた譜面を持ってやって来た彼が、
譜面を落としてそのまま「熊蜂の飛行」をいきなり演奏する場面。
”人生のすべては音楽であり、それ以外は何もない”彼の演奏に、時間すら止まったような、涙が出るほどの感動を受けた。
この映画の素晴らしさは、デイヴィッドの人生を見つめる製作者の冷静なまなざしがもたらしたものと思う。
最後になってしまったが、忘れてならないのは、ジェフリー・ラッシュ。
「エリザベス」を見て以来ファンになったが、役柄が要求する難しいセリフ回しをほとばしるように繰り出し、
身体中から情熱を発散し続ける、”演技を超えた演技”には改めて敬服の意を表したい。