シドニーオリンピックを取材し見たまま、感じたままの新鮮観戦記パート2。本文にもあるように本来著者は人が大勢集まるところが嫌いである。いままで入学式、卒業式や、結婚式にも出なかったとある。世紀の大祭典オリンピックにしからば何故?ということになるが回答は本文を読んでください。筆者はそれ以外に著者が本来スポーツ好き人間だからとも思う。 市民マラソンに参加したり取材中も毎日ジョギングを欠かさない。だから高橋尚子や犬伏孝之、有森裕子、キャシー・フリーマンなど一流のアスリートの走りを見る目と観察力は鋭いし具体的である(と私は思う)。
ともかくマラソン以外にビーチバレー、ホッケー、野球、サッカー、体操とけっこう多くの観戦記が出てくるがやはり走る競技が得意のようで表現も分量も力が入っている。犬伏や有森には直接取材もして状態をよく把握している。なにか村上龍のサッカーとの関係を類推してしまった。その中で高橋尚子の女子マラソン優勝のシーン描写もよかったがやはりキャシー・フリーマンの400m決勝でのそれが一番よかった。感動を伝える文章とはこのように表現するものなのか。翻訳の専門家にして出せる現場の臨場感なのかもしれない。そしてこれはまた先住民アボリジニーと移民豪州人との歴史的な和解のシーンでもあったとのこと(文中に詳しいですよ)。
著者はオリンピックを退屈なイベントだともいう。結婚式や入学式がそうであると思っているかのようにオリンピックという特殊な時間軸の中で何とか意味を見つけているに過ぎないと。でもスポーツの醍醐味とか感動はやはりそんな退屈の連続の中から起こってくるとも。矛盾しているような表現だがそれがスポーツのいや現実の世界かもわからない。醜い誘致合戦、膨大な経費、無限に膨らむ種目、弊害多いオリンピックはもっとコンパクトに発祥の地ギリシャのアテネで開催したら(甲子園の高校野球のように)いいのにと言う意見は賛成です。オーストラリアの簡略史もわかり易くよかった。