この「シグルイ」という作品、ひとまずは、駿府城御前試合において、
伊良子清玄の繰り出す「無明逆流れ」と、藤木源之助の攻撃、いずれが
勝つか、を描いている。当然、勝負は一閃。一瞬で決まる。
さてどちらが勝つか。どう勝つか。早く結果が見たい。
しかし、話は回想に入り、もう五巻目である。
つまり、もう二年以上、山口貴由という作家は、読者を焦らしているのだ。
ここは軽く流すか、と思ったらじっくり描いたり、
これは長くかかるだろうと思ったら、あっさりと決着がついたり、
読者の予想を常に裏切ってくれる。原作ものなのに、だ。
私は、五巻で伊良子・藤木の決着まで進むものと予想していた。
ところが、違った。
この五巻、ひたすら、「溜め」なのである。
来るべき伊良子の虎眼殺害、藤木の右腕喪失を、描かない。
ひたすら焦らして焦らして焦らしまくる。
それが、心地よい。山口貴由という作家の掌の上で転がされるこの感覚。
具体的に書くと、作品のコアとなっている三人、
すなわち、伊良子、藤木、虎眼という人物を、ここでまた
じっくりと描いているのである。
伊良子の憎悪、虎眼の狂気、藤木の抑制が、これでもかと
描かれる。まさにこの五巻からが、この物語の本質なのだ。
これを書いている時点(第30景)で、またしても、
山口貴由はやってくれた。
「物語とは、こういうものでしょ」
という、静かな叫びが聞こえてくるかのようだ。
「シグルイ」で塗り替えろ!!!!マンガの歴史を!!!!