原作本を読んでない人間の予想として、おそらく二人ともはらわたを飛び散らして相打ちに終わるのだろうなあと思っていた。
だから、きっちりと勝負がついたことにびっくり。
そのまま、ハッピーエンドで終わるのか、と思いきや、残酷極まりない“武士の習い”“武士の本分”によって、穢れなき美しき勝負も、その先に待つ未来もぐしゃぐしゃに潰されてしまう。
しかし、それでもなお自己が“士”であるということを証明する為、そして、主君の命令には絶対服従という封建的な社会制度の中で自己の存在を証明する為には、あのような行為を拒否することは不可能だったのだろう。
「自己の細胞が死滅していくような嘔吐感、しかし、これは・・・」の言葉は、自分という存在意義の全てである“侍”という身分を得た瞬間であり、結果的にそのことによって自分の思いの全てであるものを失った瞬間でもある。
石森章太郎の「人造人間キカイダー」では、“人間”になったジローに対し、こう締めくくっている。
「ピノキオは人間になりました メデタシ メデタシ」
「だが、ピノキオは人間になってほんとうに幸せになれたのだろうか?」
シグルイで描かれた
「人間の優劣をつける階級社会を否定するため」に昇ってきた者と、そんな封建社会に飲み込まれることで、存在意義を証明した者。
生き残った者は幸福だったといえるのか。
いつの世もそうかもしれないが、個を失い、社会の中に組み込まれて生きるしかない人間の悲しい“運命(さが)”がここにあるのではないかと思う。