傑作である。読書の愉しみを知る総ての人に薦める。
矢吹駆は、パリで、コルベールが編纂させた、異端カタリ派に纏わるドア文書の謎に挑む。協力者の下には、カタリ派の、黙示録の呪を記した脅迫状が届いていた。駆は銃撃されるが、調査のため、ナディアたちとともに、中世にカタリ派が繁栄していたラングドック地方に滞在することになる。滞在先である財閥当主の豪壮怪異な別邸で、ドイツ人が殺され、黙示録の呪は現実のものとなる。その後の連続殺人事件、ナチのオカルティズムが絡んだ知られざるサン・セルナン文書の探索と、事件は縺れに縺れた展開を見せる。
舞台が整うまでは少し退屈したが、これ以上ない舞台が整い、紆余曲折ののち結末に至って、見事な解決に導かれる。オーソドックスなミステリーとしての完成度は高い。
だが、最高だと思ったのは、論理的な展開自体ではない。オーソドックスなミステリーの味を楽しみながら、いつしか、様々な人生の描写に魅せられていた。話が進むにつれ、ちりばめられたガジェットと見えたものが、重みを持った実在性を帯びてくる。中世に異端カタリ派が繁栄していたラングドック地方の風土が、一人の男の特異な、だが毅然とした生き方を納得させる。その生き方が、弱さをもった者を誤らせる。愛されなかったという思いが憎しみに変わった時、犯行は準備された。ナチのオカルティズムが、思わぬ人を思わぬ形で、悲劇の舞台に立たせた。長い時間が流れ、多くの人にとって悲劇は終わったのだ。
さて、前作から引き続く、純粋な悪に対する考察はどうなったのか? 少なくとも、駆は、前作と変わらず、思想的に対峙するものを追い詰め選択を強いる。作者は、駆に、そのような態度をとらせたが、その結果から考えると、結論を引き延ばしたようにもみえる。自明な悪に加担するものを前にして、どのような態度をとるか、ということであるが、その問いに対する時、必ず呼び込まれている秘教的要素を読む側としてはどう考えればよいか? それに対する評価の在り様が、ミステリーを超えた部分での、読者の評価を決めるに違いない。とはいえ、それは小説を充分堪能したのちに、心に留め置かれて、折に触れて考えてみる、といった形にならざるを得ないものと思う。