著者は自分の世代を「サイレント・マイノリティ」と位置づけて、その声なき声を、著者が"行動的ペシミスト"と呼ぶ、浅薄な価値観に捉われず果たすべき役割を完璧に遂行する人、をローマ史上から選んで紹介する事によって、代弁する体裁を取っている。だが、「サイレント・マイノリティ」の意見を何故ローマ史上の人間像に求めなければいけないか(著者がローマ史研究の第一人者というのは理由にならない)、あるいは塩野女史の声は既に「メジャー」になっているのではないかという思いがして、題名と内容との不一致を感じた。
内容は相変わらず、ローマ史を丹念に調べ興味深い人たちを紹介している。本の分量は薄いのだが、エピソード数は多いので、調査量の膨大さも予想される。また、紹介にあたって、塩野女史独特の"言い切り"(私はAという考えは信用できない、ここでBと言うのは女心を知らない証拠だetc.)があり、ファンにとっては歯切れ良いが、そうでない方には、そこまで言うかという感じもあろう。
興味深い人が多いのだが、敢えてあげれば、異端裁判所を脱獄したピニャータ(これは異端裁判所というもの自体に影響を受けているかもしれない)、第2次世界大戦に巻き込まれたジャーナリスト、ロンガネージか。ロンガネージは面白い日記を残しており、次の1節は著者の信条でもあるらしい。
「一人の馬鹿は、一人の馬鹿である。二人の馬鹿は、二人の馬鹿である。一万人の馬鹿は、"歴史的な力"である」
最後に、全体主義に触れた言葉を書いて終わりにする。
「私も、悪人であっても能力のある者に支配されるのならば我慢もするが、善人であっても、アホに支配されるのは、考えるだけでも肌にあわが立つ」
これは、全体主義賛美の言葉ではないのである。