IT文明論の第一人者による会心の力作。
西垣氏はみずからの思想世界を託した小説を執筆してきた。マイノリティーな史実に取材した重厚な物語は、実は一見まったく異なる分野に思える情報学理論と表裏一体のものであり、西垣氏自身、複数の第一人称による小説という形式を措いて情報学の本質は完結し得ないといったニュアンスの発言をしていたように思う。
さて今回、何ともアクロバティックな一冊である。
中篇小説に加え、何と反対から筆者自身による解説、さらには書き下ろしの評論が始まるという、型破りな構成を採っている。
文学作品を評価する指標や基準が失われた現代においては、もはや作品の形式を論じるのは確かに無意味であろう。思わせぶりな自己韜晦など付き合ってはいられない。
そんな何でもありな時代にあって、あらゆる「理解」の可能性に対して徹底してオープンであろうとする本著には、クールな筆者には似つかわしくない一種のパトスに合わせて、今時にはあまり出会わない表現する側に立つ者の精一杯の誠意を感じることができる。
さて小説は、ぐっと作風を変えてきた。弦楽四重奏からいきなり今風のロックをやり出したような意外性。映像的な文体は共通しながらも、描く世界は、よく知らないが、最近流行のマンガや映画としても、そのまま通用しそうな雰囲気である。
もちろん、Blogという形式を借りての思想合戦はほとんどドストエフスキー張りのデッドヒートである。西垣A対西垣Bによって繰り広げられる論争のテーマは実にシリアスであり、今回はこれまでの情報学的理論に加え、バイオテクノロジー的モチーフが加わり、一気に「生命」というキーワードが前面に躍り出てきている。表題にもなっているサイバーペットとはすなわち現代人の比喩であり、改めて現代のわれわれの生物としての畸形性を浮き彫りにしている。
それらの実に深刻な議論と並行して、アパシーな今風若者を主人公とした映像的なドラマはあまりにも唐突な形で殺人、自殺という結末を迎える。その前後に種々の理論が繰り広げられているが、結局のところ、殺人の真相は藪の中であり、