僕は横浜に住んでいるが、未だ港湾地区には行ったことはない。伊勢佐木町のその先にあるというのは聞いたことがあるが、柳美里が描くその
黄金町というものがありのままのそこであるのならば、僕は自分がまだその場所には行くべきではないと思った。
腐臭が漂ってきそうですらある彼女の描写からは、そこが人生の終着駅、人が最期に訪れる場所にしか思えてこないのだ。
これは父殺しの小説だ。黄金町を寝床にする怪物、パチンコ店でのし上がり金と権力と性を思うがままに操る強欲的な父とその息子である「少年」。
彼はその父を殺し、支配から逃れたのはいいものの、その死は肉体的な死でしかない。精神分析の教えに従えば、正しい仕方で埋葬されていない
その父は象徴的な死をむかえていない。
まだ象徴的な父が生きているのである。少年自身の中において・・・。
だから父の存在が消えても、その後の少年の振る舞いが、まるで生前の父を模倣し、代役を務めているかのように、乱暴になり、性にまみれていく。
彼が父の愛人麻衣に筆おろしをしてもらったという事実が、それを象徴している。
衝動的な犯行と、あまりにも稚拙でまるでユートピアのような(犯罪が発覚せず、響子や兄・幸樹たちとのささやかながらも幸福に暮らしたいという)願望。
少年はまだ子どもなのか?
彼自身はもう子どもではないと言い切った。では大人なのか。否、彼は大人をバカだアホだとさげすみ、見下している。彼は大人でもない。
では少年はいったい誰なのか。
子どもと大人の間の空白地帯、誰もが一度は落っこちるであろうそのエアポケットを、柳美里はかくもグロテスクに描ききった。