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キングのお楽しみはB級恐怖にもあるが、それだけではない。恐怖だろうと感動だろうと、キングは圧倒的に人間を描くのが上手いのだ。
『刑務所のリタ・ヘイワース』は、土の温度や匂いを感じ、どうしようもない救い、安堵感、そして希望と愛に胸が詰まった。人や人生に背中を向けたくなっても、いつでもこの刑務所に戻ってこれる。まだこれがある、と主人公が最後に掴んで掲げたものは(照れくさいが紛れもなく)愛だったのだと思う。
キング作品の各所に表れる、恐怖の中でも残っていく人間的な愛に焦点を当てたら、こんな作品になるように感じた。例えドン底でも、それでも人間ならば、と。
刑務所で半分人生を終えたような大人に救いが訪れる『刑務所のリタヘイワース』だが、後者は対照的だ。
どこから見ても健全な家庭の幸せな少年に闇が纏いつく『ゴールデンボーイ』は、五感を捉えて希望へと引き上げる前者の逆を行く。子供を持つ親なら怖くなるだろう。悪夢への変貌が「あまりにも自然」なのだ。日常を見る視点が変わる。それしか選択がなかったんだ、と坂を転がり加速していく石を見ている気分。だが可哀相などとは言わせない。最後で読者は主人公から突き放される。
キング作品の怖さは超常現象的な要素にもあるが、人が転がっていく闇の深さに真骨頂がある。「これではしょうがない」と闇に転がった姿すら納得させ、最後に突き放す。そのどれもが日常に行われるのだ。
対象的な二作品が収録されたこの本は、「どんなに辛くて長い夜にも朝がやってくる」ということと、「平和な日常風景だって、うかうかしていると夜の闇に飲まれてしまう」ことがよく表現されている。ヘタにB級超常現象的な要素がないのがいい。恐怖や希望のありかが、人間にあるということが良く分かる。
「ゴールデン・ボーイ」の少年は、たまたま友だちの家の車庫にあった古雑誌でナチの犯罪物語を読む。嫌悪と興奮と頭痛。それが心の闇の何かを刺激する。彼は、人間の心の闇のフタを不用意にもそっとあけてしまったのだ。性を知る直前の少年は、それが官能につながっていることに気づかない。そこにある得たいの知れない感情は、恐怖と官能で少年に襲いかかる。じわじわと闇が日常のなかに染み出し、事件への布石がそっと置かれる。キングの手際のあざやかさ。
正直なところ、この悪夢のような犯罪に、途中で何度も投げ出しなくなった。しかし投げ出してしまえば、中断した物語の切り口が乾ききらない傷痕のようにいつまでも気にかかる。それを阻止する唯一の方法は、一刻も早く読みおえてすっきりするしかない。これこそまさに、この小説のなかで登場人物が犯罪に手を染め、抜き差しならなくなった状況と同じではないか。クソッ!
どこから見ても非のうちどころのない家庭で育った少年。しかしアメリカ社会が大義名分で抑圧した精神の病んだ部分が、少年の心のなかにとりつく。アメリカの健全神話の裏に、じつはこんなものがべったりと貼りついていたのだ。題名のゴールデン・ボーイとは、アメリカの無垢の象徴だろう。
読みおわってみると、「刑務所のリタヘイワース」の犯罪者たちが妙にいとしくなる。人間に残された希望というささやかな砦を、いかにみごとに守りきったことか。「ゴールデン・ボーイ」の悪夢のあとでは、いっそすがすがしいほどだ。「ゴールデン・ボーイ」は、もしかしたら前作をこのように光らせるために読まれるべきものなのかもしれない。キングの凄味のある合わせ技と言ってみたくなる。
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