再読して書き換えました(2012/2)
先人の言葉をあまりに不用意に用いていること(わざわざ引用する必要あるのか?と思うこともたまに)。それは慎みのなさかもしれないし、批評の軽快さかもしれない…断定はしません。
日本的スノビズムだ、なんだって、さらっとハイブロウなことを書いているのに全く説明がない。これは分量が元々大きいので仕方ないかもしれないですが、それでも、ほいほい出てきます。
例えば重要なキーワードになる「水子」。
今時の子で、「水子」って何かちゃんと知ってて、説明できる人ってどれくらいいるんだろう。
何の説明もないまま、使うのってどうなんだろう。少なくとも、原義を少しくらい書いてもよかったのでは?と。
水子の概念は、かなり厄介です。魅力的ではありますが、こと本書においては。
ちなみに、作品の粗筋紹介の中でネタバレもあります、気になる作品がある場合は注意した方がいいでしょう。
どの作品も、かなりがっつり解説されてしまいます…本当に気をつけてください。ええ、やってしまいました。…うみねことか。
しかしながら、「嫌なネタバレ」ではなく、流石批評家というか、「やりたく(見たく/読みたく)なるネタバレ」だと言えます。
村上裕一の批評家としての地力の高さが伺えます。
作品論(作家論も少しある)などなど、少なくとも、個々の議論については、並べての論考よりもはるかに明晰で示唆的です。
ただ、どれもかなり本腰を据えているので、論旨を見失いやすい。これは利点でも欠点でもある。しかし、繰り返すと、分析にはやはり非凡なものがあります。
この値段で、しかも上下段分けで、この厚さ…この森を通り抜ける時に、今結局なんの話なの?と思う方も多いかもしれません。
最も大きな疑問は、誰に向けて書いているか。
オタク的な人なら、出てくる作品に共感できたとしても、学術的なジャーゴンにどれだけ慣れているだろうか?
大学にいるような人間に読んでほしいなら、どうして極めて濃いオタク的な作品を(中心に)選択したのか?
オタクにも/学識者にも届きづらいのではないか。
この「届きにくさ」の感覚は、未読の人はなんだかわからないと思いますが、天皇論、アイドル論終わったくらいから、これを実感し始めることかと思います。
もちろん、キャラクターを論ずることを通して、何を伝えたいか、誰に伝えたいかということは、末尾に少し書いてありますが…これは、直接はオタクを指すのでも、学識者を指すのでもありません。
いずれにせよ、キャラクターに関して、これだけまとまった言説を残したということ、それだけでも有意義なことは間違いない。
筆者自身が述べているように「道具を揃える」ことがひとつの目的なようです。それは成功していると個人的には思います。
本書が見ようとした地平、示唆しているもの、それは間違いなく重要なことです。
単なる「ゼロ年代作品論集」を超えでたものとなっているのか、どうか。それは、是非読んで各人が判断してみてください。
東浩紀『動物化する〜』と『ゲーム的〜』、宇野常寛『ゼロ年代の〜』くらいは、本書を読む、最低限の前提かと思います。
あと、結構柄谷行人が出ます。いくつか読んでないとわからないかもしれません。
様々なことを、既に「前提」とした上で書かれてあるので、そこは気をつけてください。