ふたりの冴えない男たちが珍妙なやりとりを繰り広げながらゴドーを待っているが、ゴドーはいっこうにやってこない…。
〈待つ〉ことは〈誰かを/何かを待つ〉ことだが、相手がやってこない状況においてはむしろ〈誰かに/何かに待たされる〉ことだ。それはきわめて受動的な行為で、しかもその誰か、すなわちGodot(God-ot→”God, oh”?)が永遠にやってこない他者ならば、ふたりの〈待つ〉はなんと無意味でむくわれない受動だろう。まるで”I was born”の悲しみそのものかのごとく。
とはいえ訳もわからずただ待つほかないからこそかえって会話ははずむのかもしれない。不意に、気の利いた台詞が口を突いてひょこっと飛びだしてくる。「運悪く人類に生まれついたからには、せめて一度ぐらいはりっぱにこの生物を代表すべきだ。どうだね?」本人を置き去りにしたまま、言葉は喋りつづける。
してみるとこの物語(といえるのか?)において、自由にふるまう主体、という意味での「人物」などはたして見いだせるのだろうか。
わからない。わからないから沈黙する。沈黙したはずなのに、それでも言葉はまた喋りだす。ゴドーを待ちながら。