*【以下結末に触れています】
1950年代。かつて『
フランケンシュタイン [DVD]』などの怪奇映画で名を馳せた映画監督ジェームズ・ホエール(イアン・マッケラン)は、今は、瀟洒な屋敷で、お手伝いのハンナ(リン・レッドグレーヴ)だけをおいて、隠遁生活を送っていた。彼は、卒中で倒れて以来、過去の幻覚に悩まされ、暗鬱な気持ちになりがちだった。そんな折、若くハンサムな庭師クレイトン・ブーン(ブレンダン・フレイザー)が雇われ、ホエールの心はさらにかき乱されることになる…。
30年代にユニバーサルで、『フランケンシュタイン』(1931)、『
透明人間 (ベスト・ヒット・コレクション 第9弾) 【初回生産限定】 [DVD]』(1933)、『
フランケンシュタインの花嫁 (初回限定生産) [DVD]』(1935)、『ショウボート』(1936)などの作品をものした実在の映画監督ジェームズ・ホエールを主人公に、虚実織り交ぜた脚本で語る、静かで重厚な中にもユーモアを滲ませる人間ドラマ。ビターなハリウッド内幕ものであり、伝記ものでもあり、『
野いちご [DVD]』(1957)や『
プロビデンス [VHS]』(1977)のような、死に怯える(いや、この作品の場合は死に憧れるというべきか)老人の内面を描いた作品でもある、実に多面的な味わいを持った一編だ。配給会社のギャガ・コミュニケーションズが買い付けたものの、興行的に厳しいと踏んでオクラ入りにしかけたが、作品に惚れこんだ熱狂的なファンたちの支持によって、(期間限定ながら)劇場上映へと漕ぎ着けたことでも有名。
題名通り、あのフランケンシュタイン博士とモンスターの関係―神と怪物―をモチーフにした話である。いろんな解釈が成り立つだろう。単純にホエール(神)とブーン(怪物)の主従の力関係という指摘もできるが、それ以上に、ホエールが、自分の額を指して「本当の怪物はここにいる」と言うように、ホエールという複雑な人物の中に住む神と怪物―それらは、渾然一体となってホエールを支配している―の物語というべきかもしれない。マッケランのジェームズ・ホエールとフレイザーの庭師による、ほぼ2人だけによる舞台のような心理劇だ。2人がお互いに探りを入れ、感情が静かにぶつかりあい、最後に沸点に達するあたりのサスペンスの盛り上げ方も巧い。しかも、それをただ舞台的に演出するのではなく、バージニア・ウルフの小説のように、「意識の流れ」的なフラッシュバックによる内省的な映像処理をしたり、彼のホモセクシャルという性向に対する(ハンナは「ジミーさんは、口では言えない罪深いことをしてきたんです!」と言う)罪の意識や孤独を、自分の作品『フランケンシュタイン』や『フランケンシュタインの花嫁』のストーリーと絡ませたりしながら、より複雑、重層的にしていく演出によって、ホエールという一筋縄ではいかないクセモノの人物の内面に潜む暗黒的な部分を巧みに視覚的にみせてくれる。
マッケランが優雅で妖しい香気を漂わせながら、老人特有の頑迷さを見事に体現している。男性に好色な視線を送る表情が素晴らしい。「老人が性的なことに興味があるもんか!」とブーンは言うが、しかし、それとは裏腹に、マッケランの老映画監督は、いまだ色の世界の虜なのだ!この人間の業の深さ。窓越しに、初めて庭師を見つめる時の、好奇に満ちたまなざし。彼をモデルにして絵を描く時の、さりげなく品定めをするまなざし。彼の視線によって、若い男たちはすべてを見透かされ、精神的に丸裸にされてしまうのである(彼のインタビューをしに来た映画学科の学生などは、ホエールの好色な「遊び」によって、本当に裸にされてしまう!)。自身もホモセクシャルであるマッケランだからこその―俳優の性向と役柄を同一視することにどれだけ意味があるのかわからないが―、微妙な、そして真実の表情といえるだろう。
しかし、むろん、ホエール監督自身も、自分の性向が罪深いものだと重々承知し、マイノリティとしての―といっても、この作品にも登場するジョージ・キューカーを始め、当時から映画業界での同性愛者の多さ、また、それを微妙に隠した作品も多かったということは、『
セルロイド・クローゼット [DVD]』(1995)などを挙げるまでもなく、すでに具体的に明らかにされている―疎外感を感じている。そして、そこに戦争中に犯した罪(あるいは初恋の記憶)の強迫観念が加わり、この世から去りたいという危険な欲望にとりつかれ、目の前にいる筋骨隆々の「怪物」ブーンに殺されるように計画する。フランケンシュタイン博士が、自分の怪物に殺されたように―。
まるで、あのムードたっぷりのユニバーサル怪奇映画のような激しい雷雨の夜に(いうまでもなく、それは『フランケンシュタイン』で怪物が目を覚ました天候である!)、ついにホエール監督とブーンの感情が一気に爆発するのがクライマックスだ。ホエールを哀れに思ったブーンが、彼のために、かねてから拒んでいたヌード・モデルを買って出る。窓越しに激しく叩きつける雨を眺めていたホエールが、窓に映る全裸のブーンの姿を、歓喜にふるえるような手つきでやさしく愛撫するシーンの切ない官能。ホエールは、ブーンの若い肉体に狂ったようにむしゃぶりつき(もちろんホエールの綿密な計画なのだが)、怒ったブーンは、ホエールの挑発によって、フランケンシュタインの怪物のように、彼の首に手をかける。しかし、それが、哀れな老人の巧妙な自殺計画だと気づき、ブーンは力を緩め退室してしまう。すると画面は、突如、白黒になり、怪物に手を引かれる男のシルエットが浮かび上がる(タイトル・バックでも同じシルエットが現れる)。『フランケンシュタイン』からの引用場面かと思うと、それはブーンに手を引かれたホエールだということがわかる(髪の毛を立てたヘア・スタイルのブーンのシルエットは、怪物そのものだ)。彼は自分の「怪物」ブーンに連れられて、長きにわたり彼を苛め続ける、忌まわしい(と同時に甘美な)思い出の場所―「恋人」が待つ戦場―へと赴く。これは、ブーンの夢(というよりホエールの死の知らせというべきかもしれない)だということがわかるのだが、ブーン(ホエールにとっての怪物)が触媒となって、ホエールが罪深い人生と決別し、すべての許しを得る幻想的で感動的な場面だ。前半の静的描写から、一気に後半の激情的描写になだれこむ演出は大したものである。
嵐が過ぎ去った翌日、ずっと作品を覆っていたホエールの暗い苦悩が消え去り、すべてを浄化するかのように、青い空から、まぶしい陽光が降り注ぐのがこの上なく美しい。そして、その陽光が、磔刑のキリストのような格好でプールに浮かぶホエールに照りつける。結末としては、悲劇的ではあるのだが、不思議な余韻とやすらぎに満ちている。
喧騒のハリウッド作品の中にそっと現れた、実に観応えのある濃密でスリリングなドラマだ。
本DVDは、劇場公開版の2.35:1画角ではなく、4:3画角のマスターを使ったもの。スーパー35で撮影されている作品なので、4:3サイズが本来のオリジナル画角と言っていいのだが(劇場公開用に天地をマスキングしてプリント)、やはり2.35:1画角の劇場公開版を収録するのが当然だろう。事実、米盤は、2.35:1画角だ(VHSが、4:3画角という区別がされている)。また、パッケージのどこにも、4:3画角を収録した経緯と理由を明記していないのも、あまりに不親切だ。これでは、2.35:1画角のものを単純に左右をカットしたトリミング版だと誤解する人が出て来ても仕方がないだろう。
画質も、2.35:1画角の米盤に比べると、色合いがくすみ、ディテール表現も甘いもの。音声は特に問題もなく、日本語吹替えも収録。米盤に収録されている特典は一切なし。せっかく、映画ファンの強い要望で劇場公開に漕ぎつけた作品のDVDとしては、あまりにお粗末な仕様と言わざるを得ない。そういった点で、星1つ減点。