山田宏一は、昔から最も敬愛する映画評論家だ。
月並みな表現だが、氏の映画評は、映画への愛おしさと切なさに溢れ、映画を観る事へのときめきと歓びがひしひしと伝わってくる。
洋画と言えばアメリカ映画一辺倒だった10代に、繊細で文学的なイメージが強く敬遠していたフランス映画を観始める事になったのは、氏の書くフランス映画評が余りに素晴らしかったからだ。
ヌーヴェルヴァーグの映画人たちとの交友、とりわけフランソワ・トリュフォーとの親密な関係は有名だが、ただ、ジャン・リュック・ゴダールに関しての論及は、意外なほど稀少だった気がする(アンナ・カリーナについては、名著「美女と犯罪」の中での“ゴダール版さらば愛しき女よ”での魅惑的な解析が既になされていたが)。
政治と愛の間で揺れ動いていたと形容される60年代のアンナ・カリーナ時代から、五月革命以後の、“映画の革命か、革命の映画か”、とにかく商業主義映画から逸脱しアナーキーな彼方へと到達していったゴダール映画を論ずる評論は小難しい物が殆どだが、いつもながらの、美しく、躍動的で、エモーショナルな映画評を(それでいて、舌を巻くような博覧強記ぶりと映画的記憶に芸術的素養が兼ね備えられているのだが)読んでいくと、ゴダール映画への理解が倍加していくから凄い。
巻頭と巻末に挟まれる“60年代から遠く離れて”、30年後のアンナ・カリーナ&ラウル・クタールのインタビューも、その誠実で永遠の映画青年的な語り口での問いかけに、ふたりも、ゴダールとの出逢いから、協働した各作品について楽しく答えているのが素敵だ。
映画よりも映画的とさえ思えるその作品分析を読みながら、「気狂いピエロ」はもちろん、「女と男のいる舗道」、「アルファヴィル」、「ウィークエンド」らゴダール映画の数々を改めて見直したくなった。