最初、作品のタイトルが「ゴジラXメカゴジラ」だと聞いて、正直(またかよ!)と思った。
74年、93年と趣旨は違えど同じタイトルの作品が作られているというのに、ここへ来て再三登場させるとは、いよいよこのシリーズもネタ切れか?、と思ったものである。
しかし、新しく設定されたメカゴジラがどのように描かれているのか興味を引かれたのも事実。
そこで見てみると、なんと、タイトル上でこそ「メカゴジラ」だが、物語の中では「機龍」と呼ばれているじゃないか、(1人例外はいるけど)シンプル・イズ・ベストの自分としては、その呼称が出てくるだけで、ゾクゾクしたもである。
さて、この4代目メカゴジラとなった「三式機龍」の基本的なコンセプトは、93年版とほとんど似たようなもので、「迫り来る脅威」であるゴジラへの対抗策として人類が現代科学の全てを駆使して作り上げた、究極の「対G兵器」として登場する。
93年版は、海底からサルベージしたメカキングギドラの残骸を元にしていたが、こちらもまた海底に沈んでいた初代ゴジラの骨格をメインベースにするなど、この辺の流れも良く似ている。
この機龍とかつてのメカゴジラとの決定的な違い、それは。
過去のメカゴジラは、立場の違いはあれど、命を持たない機械という点で共通している。
一方、初代ゴジラの骨を元に作られた生体ロボットである機龍は生きている。
人間達が、どれだけ手を加えようとその遺伝子の中には、確かに初代ゴジラの自我が、そして意思が生き続けていたのである。
初めてゴジラと合間見えたとき、最初は人間に操られるがまま攻撃を行う。
しかし、ゴジラの咆哮を聞いたときに気付いてしまう、自身が人間によって姿を変えられ唯一の仲間と戦わされていることを、機龍は怒りの雄たけびと共に暴れ狂うその姿はまさにゴジラそのものだった。
人間の身勝手さ、エゴイズムを切々と訴えている、作中の少女が言うように悪いのは元を正せば人間
全ては人間の過ちによって起きた事なのだ。
その後、機龍は再びゴジラの前に現れ、両者は激しいバトルを繰り広げる。
しかし、その戦いは激しい中にも深い悲しみを漂わせている。
「なぜ、我々が戦わなくてはならないんだ!?」両者はそう訴えているように思えた。
ただの怪獣映画じゃない、現代人に対する深いアンチテーゼを感じさせる作品だった。