上中下3巻を同時に購入し、まず上巻にある「はしがき」と「改訳の序」と「解説」を読み、次に中巻の「解説」を読み、そして下巻の「解説」と「改訳『コーラン』後期」を読んだのだが、これだけで実に合計45ページほどを占め、ざっと計算すれば400字詰め原稿用紙87枚分となる。
これらを読んだだけでイスラム教があらかた判った気分になり、内容が濃いのに非常に分かり易いのは著者が真実理解している証拠だとあたりを付け、井筒俊彦なる学者が何者かとウィキペディアで調べてみると、次のようにあったので合点した。
* ちなみに、語学的な才能に富んでいた井筒は、アラビア語を習い始めて一ヶ月で『コーラン』を読破したという。語学能力は天才的と称され三十数カ国語を使いこなしたとも言われる。司馬遼太郎は対談の中で井筒を評して「二十人ぐらいの天才が一人になっている」と語っている。
イスラム教についての知識が皆無に等しい私でも、確かめたかった点が二つある。一つはイスラム圏の銀行は無利子らしいが本当か、ということと、一つは暴力を肯定しているのか、ということだが、前者は上巻の68ページに「アッラーは商売はお許しになった、だが利息取りは禁じ給うた」等とあり、後者は上巻の251ページに「だが神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい。」とあることが判った。
しかし、著者は下巻の解説で注意を呼び掛けている。
P.338 「学者は一字一句の解釈に自己の生死を賭した。(略)。一つの重要な文章がただ一つの解釈しか容れないことを万人が異議なく認めるという場合はむしろ稀で、大抵の語句については幾つかの違った解釈──しかも屡々あい矛盾する解釈──が提出されている。同一の語句が五通り六通りに解されることはざらであり、そのいずれに依るかによって訳もまた全然違ったものになる。」
P.339 「『コーラン』はアラビア語の原文でこそ聖典である。外国語に訳された『コーラン』はすでに聖典ではなく、一個の俗書であり、原文の一種の極めて初歩的な註釈であるにすぎない。」
マジッド・テヘラニアン氏は、「イスラムで武力に訴える行為は自衛の場合にのみ許される」と言っているが。