これは新書として書かれた「ぎょうせい」出版の白書である。
さらに付け加えるとすれば、居酒屋談義的な「文明論」の要素もある。
本書の筋書きは、とても大雑把にいえば次のようになる
すなわち、「社会」を公共(政府)、共同体=コミュニティ、私(企業、市場)に分割して考えると、
近年の日本は「公」から「私」へと転換した後の社会であり、現在では共同体ベースの「互酬性」を再評価しながら、公―私―共のバランスの取れた政策を展開していく必要がある。
そして、グローバル化の弊害を緩和するためにも、とくに共同体における「社会関係資本」の構築が喫緊の課題である。以上
末尾に「農耕社会」と「狩猟社会」の区別といった、若干トンデモ本のようなくだりも出てくるが、ここは筆が滑ったのだろう。本筋は上記の部分にある。
さて、このように本書は「何かを言っているようで」、実のところ「何も言っていない」。
行政の白書に書かれているような、大多数の人々が賛同できる建て前的文言をつなぎ合わせているようにも見えてしまう。
また、より専門的な見地から、本書の問題点を挙げるとすれば、次の二点がある。
1)本書は引用文献からも、論旨からも明らかなように、パットナムに代表されるような「コミュニタリアン(共同体主義者)」に近しい視点から書かれたものだが、既に多数提出されているコミュニタリアンへの批判や、リベラル/コミュニタリアン論争、あるいは政治学におけるダールなどの「コミュニティの権力」論争を全く踏まえない論旨展開をしており、これまで官僚や御用学者が立脚してきた、一方の立場のみしか紹介していない。
コミュニタリアンが悪いというわけではもちろんないが、片方の視点のみを自明の前提としていることは問題であり、これは良くて「一面的」、悪ければ「イデオローグ的」であるとの批判を免れないだろう。
実際にはより奥の深い問題が、これまで議論されてきたのであって、本書を読まれる方は、この点にはとくに留意していただきたい。
2)大筋としてはパットナムなどの提出してきた「社会関係資本」や「互酬性」の構築を再度提言するものであるが、パットナムらが展開してきたような綿密なデータ分析や、具体的な事例を十分に紹介できておらず、「文明論」的に大風呂敷を広げた議論に終始してしまっている。新書という体裁の限界を差し引いたとしても(しかし新書でも、きちんとした論理展開をした本は多くある)、一般に認められた「良い言葉」を並べた白書的な新書といった感は否めない。
かつての官僚が、どのようなことを考えているのかを知るための資料/史料としては有用であるので、星一つではなく二つをつけた。