当時「ピナコテカレコード」というレーベル――おそらく日本でも最初期のインディーズ・レーベルであろう――があった。
もともとは吉祥寺にあった「マイナー」という度外れたアングラなライブハウスのオーナーがが、突如店をたたんだ末に奥多摩に隠棲した後、気まぐれに思いついたかのように企画し、店に出入りしていたバンドやユニットの作品を世に送り出しはじめた――という経緯がある。
分けても、この「コクシネル」というバンドは、私にとっては思い入れがあった。
オリジナルメンバーは、ボーカルの野方攝とギターの池田洋一郎。
80年に件の「マイナー」でデビューしているが、当時は工藤冬里もメンバーだったような気がする…。
彼らの音楽には、地味でシンプルな中にも透明で凛とした煌めきのような雰囲気が漂っていた。
とつとつとしながらも透き通った野方の歌声が静謐な空間の中に響き渡り、胸に突き刺さってくるような鋭ささえ感じた。すっくとそこに立って歌っているだけなのに、そこにいるだけで圧倒的な存在感があった。
「記憶」という曲がある。
この詩は切っ先鋭く、私を射抜いた。
記憶
いつのまにか 目が覚めて
昨夜の夢を 宙に描く
断片に浮かぶ 絵の淵に
もうひとりの私が潜んでいる
なにが飛び出すかもわからない
眠りの夢の中で もうひとつ目が醒める
誰もいない 公園で
太陽は昔から 輝いている
記憶には沢山のキズと愛が
溶けてかくれては ふいに顔を出す
真白い雪の街に
真赤な夕陽沈む
深く焼きついたあの光景に
新たな血が通いだす
私の知らないところまで
目が 眩む
存在の根源から立ち昇ってくる、切々とした、ひりひりとした ―― この世に存在することの「痛み」、避けられない「痛み」のようなものがそこはかとなく漂ってくるような歌である。
耳を惹いてやまない不思議な響きを何度も何度も繰り返して聴くうちに、彼らの音楽は私にとって「現実」を捉え返す「感性的な参照点」のひとつになっていった。
今も愛してます。