帯に「パキスタン人作家が描く『グレートギャッツビー』と『ノルウェイの森』の世界」とある。うまく言いあててはいるのだが、それで片付けられてしまうほど陳腐な小説ではない。しかしながらそうでも言わないと、日本の読者のアンテナには引っかかりにくい小説だろう。主人公はパキスタンの青年だが、透けて見えるのは、グローバリゼーション、資本主義、その二つを体現するアメリカという国である。才能に恵まれた野心的なパキスタン人青年がアメリカに渡り、輝かしい学業のキャリアを踏み台にして、名家出身でグゥイネス・パルトロウ似の美しい女性を恋人にし、超エリート企業に入る。そして「あれ」が起きる。「あれ」を境に青年はどう変わっていったのか。文章のスタイルは、パキスタン人青年のモノローグだが、慇懃なまでに丁寧なその物言いからは、教養と自信、屈折と覚悟が見え隠れする。ラホールのカフェで彼は誰に向かって話しているのか。そして話のあとには何が待ち受けているのか。回想話がいつのまにか謎ときのようになっていく。そのあたりのストーリーテリングが抜群にうまい。原題はThe Reluctant Fundamentalist。 原理主義者のつくり方、とでも訳せるだろうか。グローバル時代にも見えない蜘蛛の巣がいたるところにあって、エリートだろうが非エリートだろうが、無差別にひっかかる。たとえ逞しく人間と共生するコウモリのような「成功した都市居住者」にまではなれたとしても、決して受け入れられることのない部外者の感覚。パキスタン人の「僕」とアメリカ人の「あなた」の距離は、ともに食事をしようが、親密な打ち明け話をしようが、決して縮まることはない。スタイリッシュで、ダークな中編。