何を論じてるのかつかめないまま読まされる。不愉快。時間を無駄にしたという読後感を与えられる。
悪文家・永井均は翻訳をするとなるとさらに読解困難な文章を書くということがわかった。永井自身が書いているとおりネーゲルの英語は独特の文体世界であり、読んでて心から愉しい。原文で読んだほうが断然いい。原書を買ってもいいし、『コーモリ』はインターネットで原文全文が読める。とはいえ原文でも議論は省略と文体任せが錯綜しているので、誤解なしでは読めない。
本の内容は確かに雑多で、貫かれる1つの視点というのさえもない。何か新しいことが言えているのか、聞くに値する何かが展開されているのかが皆目つかめない。例えば、最初のエッセイで、なぜ「死」というあり方が他の「無」というあり方と違って特別怖がられるのかについてせっかく非常に見事な分析をすすめるのに、それが「死」解釈に何をもたらしてネーゲルの結論にどうつながっているのか全然つかめず煙に巻かれたまま終わる。中盤の政治関係・社会関係のエッセイでは、訳文の硬さ・煩雑さとあいまって、何がおきているのかさえわからないまま文をたどらされる。
後半のネーゲルの論は、20世紀の心身論や心の哲学などの莫大な諸前提の上に書かれてあるので、20世紀の分析哲学系の議論をある程度つかんでおかないと、読んでも曲解する。
永井の鋭利な思想は健在で、訳者解説がこの本でいちばん面白い。特に子供は外側に立ち大人は内側に立つという区別が興味深い。