著者の岡崎哲二氏(東大教授)は、日本における「歴史制度分析」(Historical Institutional Analysis,HIA)の第一人者といってよいだろう。この分析アプローチは、本書にも登場する「スタンフォード大学のA.グライフ(Greif)等によって生みだされつつある経済史研究の新しい流れ」(『
江戸の市場経済』講談社選書メチエ,1999年)である。具体的に「一言でいえば、ゲーム理論の応用によって、制度の役割、その存在の根拠、その生成と変化のメカニズムなどの経済史上の重要な諸問題の理論的・実証的な分析を行う研究アプローチ」(同)とする。そして、このアプローチの大きなポイントとしては、「制度の存在根拠および生成と変化のメカニズムの分析を可能とすると同時に、国家による所有権の保護以外の制度に分析対象を拡げた」(同)ことであろうか。
その成果の一つが上掲のグライフによる『
比較歴史制度分析』(NTT出版,2009年)であろう。グライフは、この著書において、11世紀地中海世界で遠隔地貿易に従事していたマグリブ商人の活動の解析を通じ、「国家による所有権保護が有効に機能しない環境の下で、私的な制度が契約の執行を保護する役割を果たした」(本書p.83)ことを、「多角的懲罰戦略」の概念等を駆使し、ゲーム理論を応用して論証している。加えて、岡崎教授も前出の書帙で、江戸期の「問屋株仲間」の行動様式を「歴史制度分析」の観点から析出しており、私は日本におけるこの分野の濫觴と考えている。こうしたアプローチは、ダグラス.C.ノース等の『
西欧世界の勃興』(ミネルヴァ書房,1994年)に代表される「新制度派」の経済史を、さらに充実・拡張・発展させた、とも言えよう。
そういった意味で、「経済史」における「制度の役割」とその分析に重点を置く当書の意義は大きいと思われる。特に最近、同教授も寄稿する『
比較制度分析・入門』(中林真幸・石黒真吾編,有斐閣,10年)といった良書も刊行され、経済活動に係る制度分析的アプローチが広く世に知れ渡るようになってきたが、本書はその“前捌き”ともなり得るだろう。また、「行動ゲーム理論」においても「制度の問題(institution matters)」の重要性を強調していることはもとより明らかだ(川越敏司『
行動ゲーム理論入門』NTT出版,10年)。それはそうとして、最後に―「歴史は、しばしば現在に関する新しい見方を提供してくれる」。この言葉は、著者の『
経済史の教訓』(ダイヤモンド社,02年)の中で述べた一節であるが、まさに「危機克服のカギは歴史の中にあり」とも言える。