著者は指導的な分子生物学者で、リチャード・ドーキンスから宗教的な科学者(科学的合理主義と宗教の非合理主義のタブルスタンダードを用いている)と名指しで批判された一人。人間原理、聖書の解釈、奇跡をどう考えるか、進化理論と聖書など、ところどころドーキンスの批判を意識した構成になっていると思われる。
それ以外にもES細胞の研究利用についてやアメリカの進化論教育、創造論とID説、行動遺伝学など、宗教的科学者の信仰・宗教観・科学観について事細かに述べられており大変興味深い。ただし話題が広く自伝的記述もしばしば見られる分やや散漫。エッセイと考えるといいだろう。
ドーキンスの批判に直接答えている部分はわずかだが、かなりショボくてがっかりした。基本的には「ドーキンスが批判している神と自分達が信じる神は別」「無神論も宗教」というもの。信仰が非合理だという指摘には「トマスアクィナスら先人たちが合理的だと論証した」と述べるにとどまる。いずれもドーキンスが徹底して批判しているロジックの繰り返しで新しい部分はない。
隙間の神論に陥ったり、あり得そうもないことが起きたからといってすぐに奇跡だと飛び付いてならないなど、科学者らしい一面も見せる。結局のところ、証拠はなく、合理的でも論理的でないが「それでも私は信じる」ということなのだろう。本書を通じて科学者が非合理的な一面を持っていても別にいいのではないか思うようになった。
SJグールドもおおむね同じ視点から宗教と科学の関わりについて論じていたが、彼のように言い訳がましくない分(論理的には無理がある部分が多いが、著者の真摯な姿勢は伝わる)読みやすい。