最近、仕事で近くを訪れた機会に、境港市に足を伸ばした私は、「水木しげる記念館」に立ち寄り、その絵師の仕事に感服した。また、今の日本では、だれにでも「原体験」と言えるようなアニメ作品があると思うが、私の場合70年代に製作された「ゲゲゲの鬼太郎」と「ルパン三世」がそれに当たる。
70年代の「ゲゲゲの鬼太郎」は、その前身であるモノクロ版を引き継ぎながら、ストーリーの重複を避け、他の水木作品からの転用を取り入れた結果、異形にして異様の迫力に満ちた傑作となった。その怪奇性や風刺性もさることながら、物語の無常観や寂寥感に当時の私は大きな刺激を受けた。どうやら、現代では、このような作品をテレビアニメで放映するのは難しいようで、怖さや刺激を避けたものが歓迎される(避批判文化の弊害が顕著)。2009年現在放送されている「(現代版)ゲゲゲの鬼太郎」を、試しに観ると、いくら視聴層が違うとはいえ、その内容の軽薄さや、キャラクターのパステルカラー化には、いたたまれない気持ちになる。現代のキッズがこれらの作品を観ても、私がかつて得たような、その後も深く心に留め置ける思想性を感受することは決してないだろう。
第7巻は傑作揃いである。「地相眼」には時代の閉塞感への警鐘とともに、業により得たものは業を重ねことでしか守れない人生の儚さが秀逸に描かれている。「隠れ里の死神」はホラー・ミステリータッチな仕上がりが見事な上、時の流れの残酷さを描いた末尾が印象深い。「妖怪水車」は傑作中の傑作で、寒村の貧困を描きながら、猛霊八惨を見る禁忌の恐ろしさ、死体を運ぶ船の不気味さ、海上での妖怪の襲撃の迫力など見ごたえ満点の凝縮したストーリーになっている。「原始さん」は異色作で、特に環境問題が深刻だった当時の強烈な社会風刺となっている。
これらの作品に共通しているのは、物語が単純なハッピーエンドなどでは終わらず、淡々と描きながらも何か大きな問いかけを投げかけてくる点にある。そこには現実と地続きの、まさに今生きている我々への心象的メッセージがある。善悪とか真偽のような単純な価値ではなく、相対的に刻々と変化し、観たものの心に深いひだを形成するものである。それを「情」と言う。再度、このような作品がない現在の状況を嘆きつつ、本作への賛辞と代えさせていただく。