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35 人中、31人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
「コミュニケーションの檻」が生み出す「物語」,
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レビュー対象商品: ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち (単行本)
◆ケータイ小説の特徴
1 回想的モノローグ 2 固有名詞の欠如 3 情景描写の欠如 「実話テイスト、少女の恋愛物語、定番悲劇イベント、ハイテンポ、 すかすか、社会的に正しくない」(米光一成、『國文學』 2008年 04月号) ◆ケータイ小説の文化的背景 浜崎あゆみが書く詞(自分の幼少時代の傷の存在を匂わせ、そこから違う自分を 取り戻そうとする「トラウマ回復」のモチーフが頻出する)の影響が大きく、さらに 時を遡れば、一九八〇年代後半から一九九〇年代前半にかけてのヤンキー雑誌の 投稿欄的な世界を結び付けることができる。それらを大きく括ると、「ヤンキー文化の影」 ということになるだろう。 そのヤンキー自体は、一九九四年あたりからは一旦、後退の気配を 見せるものの、浜崎あゆみのデビューを機に、再び盛り返すことになる。 一方、「遅れてきたヤンキー」として浜崎あゆみがデビューしたことは、 コギャル全盛に傾きかけた不良少女の分布図を塗り替える出来事でもあった。 これは同時に、不良少女たちの再保守化として見ることもできるかもしれない。 ◆雑感 ケータイが我々の生活に深く浸透することで、常に「つながること」へのアディクションが 増幅させられ、結果的に恋人の束縛という形につながっていくという現状があります。 デートDVを繰り返すような暴力男が自分に対して依存することをみずからの 心身の安全よりも貴重だと考えるタイプの女性は、いわゆる共依存に陥っており、 アダルトチルドレン的な性向の持ち主といえます。 彼女たちはそうした関係性が不健全なものだと自覚したとしても、 なかなか解消することはできません。 そんな彼女たちの姿をデフォルメした形で映し出すケータイ小説とは、結局 ケータイによって作られた現代の生きづらさを慰撫する「装置」なのでしょう。
21 人中、19人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
サブカルチャー的少女文化論として、とても面白い。,
By 白樺 (長野県) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち (単行本)
ケータイ小説論はたくさん出ているようだが、そもそもサブカルチャーに造詣が深くない人が「文学か?」などと分析しても、全く意味を持たない。テキスト論としてはそれもあり得るのだとは思うが、今急に「若者文化」に接して驚いているような評論では、読んでも仕方がない。やはり、これだけ十代の少女に蔓延しているからには、正しく「少女文化の歴史」の中で吟味することが最低限必要だと思う。
その点著者は1989年の山根一眞『変態少女文字の研究』から宮台真司、大塚英志、東浩紀、土井隆義らの評論もきちんと視野に入れている。その上で浜崎あゆみと尾崎豊の違い、『ティーンズロード』などの雑誌やマンガ『ホットロード』『NANA』『頭文字D』などを例に、ヤンキー文化(郊外型、地元つながり、コミュニケーション依存、DV傾向)について分析を試みる。そこから、「不幸自慢のインフレスパイラル」としての「自分語り」であるケータイ小説の性格が露わになる。 もちろんこれだけで全てを語ることはできないだろうが、「ヤンキー文化と相性のいい相田みつを」など、独自の視点がなかなか説得力があり、面白かった!!
39 人中、33人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
ケータイ小説の思想,
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レビュー対象商品: ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち (単行本)
ケータイ小説の思想的系譜やそれがヒットした社会的背景を詳細に分析した本。対象をよく読み、また関連する事情をよく取材しているな、という印象を受けた。単なる作品批評に終らせず、そこから現在の若い女性(とりわけ郊外の)がおかれている状況をあぶりだしていくという、なかなかお見事な仕事である。
ケータイ小説は浜崎あゆみの歌詞の内容や構造を様々なかたちで反復しており、尾崎豊のような社会反抗型から浜崎のトラウマ内省型の歌詞が受用されやすい時代への変化がそこからは読み取れる。ケータイ小説の「リアル」は、『ティーンズロード』などレディース系の少女雑誌で行われていた投稿文化の延長上で成立しており、読者投稿における事実じゃないだろうと思われる不幸(レイプ、妊娠、恋人の死…)の自慢合戦が、一定の「リアル」が感じられる物語として受用されていたという事実は見逃せない。 あるいは、ケータイ小説では「東京」への憧れがあまり存在しておらず、代わりに地元つながり志向が顕著に見られるが、他方、地元つながり文化においては女性が疎外されがちであるため、その穴を小説がうめているのではないか。また、携帯電話の普及は、コミュニケーション依存型の人格を同時に普及させたが、この「つながり」の圧力は若者の恋愛事情をも根本的に変化させている。総じて恋人間の束縛の強度が高まっており、デートDVも起りやすくなっているのだが、そうした現状を肯定するような物語の展開に関しては、ケータイ小説擁護派の著者もかなり批判的である。 全体としては、ケータイ小説の定着と密接にリンクしたヤンキー文化の復興を冷静に論じようとしており、このヤンキー文化/社会の行く末は今後も引き続き重要な論点になるだろうと痛感した。加えてヤンキー少女に実はかなり人気らしい「相田みつを」の意義も再評価されており、こうした点も含めて、かなり独創的な文化評論の著となっている。おもしろかった。
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