と、思わずタイトルで一句詠んでしまったが、「腐女子」を語った杉浦由美子の新刊。
前回は「自称はできるけど他人に語られるのは嫌」という腐女子の生態を述べておきながらも、自らそれを思いっきり「腐女子化する世界」という本にしてしまった筆者であるが、勇気ある(懲りない?)彼女の今度のターゲットは「ケータイ小説」。
「ある編集者」ではじまるインタビュー取材主体の構成は、新書として出すには少々軽々しく、前作同様に雑誌感が漂っていて多少の抵抗はあるが、ケータイ小説から見える「地方格差」の問題など、この本でわかることもある。
ケータイ小説は一見すると内容が空虚にみえるため、文学畑を始めとするいろいろな人間から批判されている。筆者によると、ケータイ小説とは女性の妄想のリアルに訴える小説らしい。妄想(自分の思うがままの空想)のリアルだから、内容が空虚になるのだ。
しかし、前回のBL本の時もそうだったが、どうもこの人は女子=妄想する人のラインを結び付けたいらしい。しかもその女子とはたいてい美人で、「美人はみな妄想するもんだ」という固定観念があるみたい。
ほほほ、杉浦様こそ、ご立派な妄想をお持ちで・・・。
ケータイ小説作家が顔出ししないのも、読者のあたかも自分が創作したという妄想を邪魔しないためらしい(これは僕の妄想ではない。杉浦さんが書いているのだ!)。
レビュータイトルにも書いたが、妄想は一人でやってるうちはいいが、本文中にあるように美容師との会話中に、妄想であるという断りもなしに語りだす人はどうかと思うぞ。そりゃ立派な虚言癖だ。
杉浦さんは、妄想を他人が思っている以上にすばらしいもの、崇高なものに思いたがっているらしいが、精神分析的に言えばそれってパラノイアの一種だからね。
ケータイ小説が一時のブームとして終息するのか、少女コンテンツの一種として市場に定着するのか。
筆者いわく、それはまだ未知数らしい。
ケータイ小説に対する社会的関心も高く、まだ謎も多く残されている今の時期が、この本の出版に一番よかったのかもしれない。
同時にそれは、ケータイ小説自体がどうでもいいことになる前の、あるいは腐女子の時のように「間違っている!」と批判に晒される前の今のうちに、この本は読んどいたほうがいいということかも。