「いったい人々は、なぜ我々を今に至るも差別し続けるのか。しかも我々を差別する当の人々自身が、部落民とは何か、そもそも自分はなぜ部落を差別するのかを知らないままに差別し続けているのである」と著者はあとがきで言う。また「差別を受け続けている我々自身も」また同じではないかとも。
「なぜ」の視点を「ケガレ」意識においた論考は、民俗学に関わった人々の問題提起でもあった。「空気のごとく差別意識は広まっていく」とよく言われてきた。「差別することに理由なんかあるものか、そう言うものなんだ昔から」と差別して来た人々の言葉も幾たびか聞いて来た。理由のない現象があるのだろうか、決してそれはあるまい。
著者は、「ケガレ」意識にその根元を探っている。
人権の世紀の始まりだが、「自らがある立場に立って考えてみる」以外に解決の道は近づかない気がする。本書で、読者自身の内なる差別意識への問いかけとして、記述内容に気配りが行き届いている著者の気持ちを学びとりたいものである。