1919年から1931年までのケインズの論説が編集されている。学術論文ではないので、分かり易く説かれている。
第1章「インフレーションとデフレーション」、私はその時代にインフレとデフレについてどのような議論が展開されていたのか興味を惹かれて読んだ。まだ金本位制を引きずっていた時代の議論であるが、ケインズの議論は今読んでも古さを感じさせない。ただし、金本位制を廃棄し、管理通貨制度&変動相場制になり、しかも莫大な財政赤字を赤字国債の発行でファイナンスしてもインフレではなくデフレに悩まされている日本の状況は、やはり特異で、当時のケインズの議論からストレートな解法のヒントは得られないようだ。
予想に反してそれ以上に興味深かったのは、第3章「自由放任の終わり」である。ケインズは政府は経済過程にできるだけ介入せずに「自由な市場のメカニズム」にゆだねておくのが最良の策であるという自由放任の原理を批判するわけであるが、ここでケインズはアダムスミスを含む古典派経済学者の批判ではなく、再評価を展開している。
ケインズは自由放任(レッセフェール)について、「(アダムスミスなど)偉大な経済学者の著書にはそのような教義は書かれていない。偉大な学説を平易に解説して通俗化した著者らが論じた見方である」と批判する(p179)。「レッセフェールという言葉は、アダムスミスやリカード、マルサスの著書では使われていない。自由放任の考えすら、教条的な形ではあらわれていない。」(p181)
そして経済的な自由放任とダーウィン主義の通俗的な連結に批判の矛先を向ける。経済的な自由主義の主張は、理論的な分析を展開する目的で「単純化のために導入された不完全な仮説に基づいている点が忘れられやすい」と論じている(p188)。
こうしたケインズの当時の議論は、戦後の比較的近年のアダムスミスの再評価とも通じ、今日的な意味を失っていないどころか、ますます問題は先鋭化していると言うべきだろう。
ケインズが今この世に蘇ったらならば、経済理論の数学的な精緻化や統計データの飛躍的な整備にもかかわらず、経済学の諸問題は自分が生きた時代とその本質においてあまり変わっておらず(進歩しておらず)、また自身の過去の議論がその後に通俗化された形で利用、普及したことを批判するんだろうなあ、と思わずにいられない。