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グレン・グールド―未来のピアニスト
 
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グレン・グールド―未来のピアニスト [単行本]

青柳 いづみこ
5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (5件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

20世紀をかけぬけた衝撃の演奏家の遺したさまざまな謎をピアニストならではの視点でたどり、ライヴ演奏の未知の美しさをも手がかりに、つねに新鮮なその魅惑と可能性を浮き彫りにする原体験的グールド論。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

青柳 いづみこ
ピアニスト・文筆家。安川加壽子、ピエール・バルビゼの両氏に師事。フランス国立マルセイユ音楽院首席卒業。東京芸術大学大学院博士課程修了。1989年、論文「ドビュッシーと世紀末の美学」により、学術博士号を受ける。90年、文化庁芸術祭賞受賞。著者に、『翼のはえた指 評伝安川加壽子』(吉田秀和賞)、『青柳瑞穂の生涯』(日本エッセイスト・クラブ賞)、『六本指のゴルトベルク』(講談社エッセイ賞)、CDに『ロマンティック・ドビュッシー』(ミュージック・ペンクラブ賞)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

登録情報

  • 単行本: 369ページ
  • 出版社: 筑摩書房 (2011/07)
  • ISBN-10: 4480873643
  • ISBN-13: 978-4480873644
  • 発売日: 2011/07
  • 商品の寸法: 19.2 x 13.8 x 2.4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (5件のカスタマーレビュー)
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グールドは、そのレコード演奏ばかりではなく「グールド論」ともいうべき評論でも大いに私たち音楽ファンを楽しませてくれる。

そのエキセントリックな演奏と変人奇人ぶりをめぐって幾多の論考が重ねられてきた。何をいまさら、という疑念を払拭して、この新たな「グールド論」はとても面白い。

青柳いづみこは、ドビュッシーなどフランスものを得意とする現役のピアニストであり、その一方で軽妙洒脱な文章が持ち味の音楽評論家でありエッセイストでもある。その音楽論は「実演家」として、指先や運指などの奏法や演奏家の体格や心理など徹底的にフィジカル面を追求し、高邁で観念的な形而上学的音楽論に対して一石を投じてきた。

ここでも、グールドの初期教育のメソッドや身体的・心理的資質、内在する後期ロマン派への傾倒、レコーディング現場、音楽産業の思惑などなどがとりあげられていて、いつもながら大いに刺激的だ。しかし、本書に新たな評論としての価値をもたらしたのは、そうしたフィジカルなアプローチだけではない。新たに発掘・整備された録音や映像のアーカイブの存在だ。著者は、この資料を徹底的に洗い直している。

圧巻なのは、ブラームスの《協奏曲第一番》の演奏分析。

奇妙奇天烈なピアニストという伝説を作ったバーンスタインとのカーネギーホールでの共演。指揮者が、演奏に先だって異例のスピーチを行って『奇抜な解釈』との印象を決定づけた。

著者は、この前後のグールド自身の実演や発言などにも言及しながら、彼の解釈が、当時、どのように異色で反伝統的だったかを証した上で、『巨大な交響的協奏曲に有機的なまとまりをつけようという彼の主張にはじゅうぶん耳を傾けるべきものがあり、このできごとを期にスコアをもう一度見直したピアニストも少なくなかった』と主張する。

1972年にギレリスがオイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィルと収録したブラームスの一番は、様々な点でグールドが示したテンポ設定やソロとオーケストラとのバランスの取り方が踏襲されているという。『同じようなアプローチでも、グールドがやってみせると異端になり、ギレリスが弾くとこの協奏曲の決定的な名盤と言われるのは、どうしてだろうか。』という。二十一世紀の今、固定観念なしにこのふたつの演奏を虚心に聴き比べればまったくその通りだと思うに違いない。

興味深いエピソードが満載で、これまでの「グールド論」同様にまったく飽きさせることがないが、そうした表面的、あるいはディテールの面白さだけではない。グールドが実践的に示そうとした問題提起の、先見性、深さ、拡がりをあらためて示した本著の価値は大きい。

青柳いづみこの、音楽評論としての集大成といってもよいほどの好著。
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7 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
グールドといえばバッハのゴルトベルク変奏曲だが、彼を世界的に有名にした1955年の録音は我が国でも吉田秀和氏のみのすぐれた聴力によって正しく評価されたわけだが、その前年の録音ではグールドはまったく別の解釈で同曲を演奏している。

ではいったいどの演奏が本当のグールドなのだろうか?

彼のありとあらゆる演奏、特に未発表のそれを丹念に聴きながらその正体を探り出そうとする著者の追及の手は、同業のピアニストらしく繊細にして苛烈であり、読者の関心を引きつけてやむことがない。

例えば後期ロマン派の音楽、とりわけシュトラウスを好み、若き日にはショパンを鮮やかに弾きこなしたグールドだったが、強大なフォルテを叩きだすべき右手の小指の肉が薄いうえに、彼の恩師ゲレーロが教えた「指先だけで弾く奏法」が仇となって、巨大なコンサートホールでリストやブラームス、チャイコフスキーなどのロマン派の大曲から遠ざかったと著者はいう。

身体の負荷のかからないバッハなどの演奏を、彼の大好きなロマンチックな解釈をあえて禁じて時流に先駆けた超クールでドライな高速ノンレガート奏法を採用したのは彼の音楽家としての戦略であり、この肉を切らせて骨を断つ捨て身の戦法が、「録音音楽家」としてのグールドのユニークな生き方をかろうじて成立させたのだろう。

無数の制約にがんじがらめにされ、その場限りで消えていくコンサート演奏ではなく、スタジオで録音した音楽をハイテクを駆使して独力で自由自在に編集・創造していく未来音楽の第一歩を、この天才は半世紀前に実践していたのだった。
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By ボヘミャー トップ50レビュアー VINE™ メンバー
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グールドの演奏を聴いていて、ずっと疑問に思っていたことのひとつは、
彼が弾きながら洩らす歌声はとても朗々としたものなのに、
彼が弾くピアノは乾いたノン・レガートの響きであること。
なぜ歌声とピアノの音色が一致していないのか。

その疑問はこれを読んで氷解した。

彼グレン・グールドは、自らピアノで歌うことを禁じたピアニストだった。
元々は最高に旋律を歌わせるタイプの演奏家だったのが、自らの意思と選択で、歌を禁じたピアニストになった。
頭の中で、音楽は朗々と響いている。しかし彼の肉体である手先、指先は違った動きをする(させている)。
そこに、あの恍惚感を連想させる、切なげな表情が浮かぶ理由があった。

この本の中に「グールドはポスト・モダニズムが言われる前からポスト・モダニストだった」という言葉が
引用されていて、これもこの本の主要テーマの1つ。

そのことを最初にやり始めた人が、最も深く、最も遠くまで行く。
グールドがプロのピアニストとしてのキャリアを始めた頃、ピアニズムの華々しい技術を誇示するピアニストたちが
世界的に著名で、脚光を浴びていた。例えばホロヴィッツのように。
ホロヴィッツとグールドは共通点も多いのだが、グールドは彼を仮想敵国のような存在として舌鋒に乗せた。
同じ領域で、後から行く者は、先行者と自分との違いを際だたせなくてはならない。
そこでグールドが見極め、鮮明にしたのが、鍵盤の上での歌を禁じたノン・レガートの乾いた音。

こうしたことを著者は、グールドの多くの未発表音源を聴きながら検証していく。

それをやったのはグールドだけではなく、ミケランジェリやバックハウスなども、時代性が変化していく中で、
自分のピアニズムを変貌させている。あらゆる表現者は時代の子供で、時代の需要と供給の力学の中で業界に船出し、
自分の輪郭を決めながら、表現活動を行っていく。

誰かが自分の恋人について話しているのを聞くのは楽しいことだが、
この本は、グールド好きにとってそうした語らいに似て、理想的な読書時間を与えてくれる。
退屈なページやセンテンスが、ほとんどない。

冒頭に著者が書いているように、著者自らピアニストだが、レパートリーとしてグールドと重なる部分は少なく、
リスナーとしても全面的にグールド賛嘆者ではない。それが彼女の分析と筆致に適切な客観性をもたらし、
的確な把握と表現の連なりを成功させている。

著者の指摘でなるほどと思ったことのひとつは、グールドの場合、頭でこんな風に弾きたいと思ったことが、
そのまま手先ですぐに再現できたということ。つまり彼の頭の中で曲が超高速で鳴った時、彼の指先はそのまま
その速度を実現する(普通はそうは思っても、手先の技術が追いつかない)。だからある時などは、音符が音を刻む
肉体的(技術的)限界まで、音がだんご状態になる一歩手前まで接近する(モーツァルトのソナタなど)。

こうした記述で本が終わっていれば、より優れた著作になっていた。
全18章の内、17章まではそうした素晴らしい叙述が続く。しかし最後の18章と終章で、著者は、
それまでのスタイルと考察から離れ、妙に観念的な、こなれていない文章を書き始める。
その章だけ、他人の文章からの引用が多く、それまでの説得力が消え失せ、空疎な印象になっている。

この本を読みながら、たびたび思い浮かんできたのが、蓮實重彦の『夏目漱石論』だった。
どちらもそれまで思いもかけなかった角度から対象を照らし、確実性の高い論拠を示しながら、
驚くほど新鮮な漱石像やグールド像を描いていく。だが、読み終わった後に、今までの漱石やグールドが
みじんも動くことなく、そのままの姿形でそこにあることに気づく。

この本でいうなら、グールドがグールドになる前の分析は詳細だが、それ以後の、我々がよく知っている
グールドの音源についての論及がほとんどない。だから結局、私たちの目の前にあるグールドの音楽については
ほとんど言及されていないような状態になる。

著者は、自分の身の置き場、見渡す場所を間違えたのではないだろうか。
「"グールド"の誕生」というような書名にして、自分の位置をそこに移し、最初から最後まで書き通せば、
より論旨が一貫したものになったはず。

でもグールドのアルバムを5枚以上くらい持っている人にとっては、間違いなく楽しい書物だし、
自分は2度読んで、2回とも充実した読書体験になった。
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