カスタマーオリエンテッドなレストラン評価を貫く著者の姿勢は以前から好きだが、本書はいただけない。
まず、大味嗜好への批判はどうか。p177で「人の嗜好はそれぞれ」と言っているにもかかわらず、それに続く文で、濃い味好きの評論家を、「とにかく濃い味でないと満足しない」「単なる大味好き」と口を極めて批判し、濃い味好きが「一般に自慢できることではない」としている。「それぞれ」といいつつ、自分と真逆の嗜好は許容できないんだろうか。味覚のツボは人それぞれなんだし。
そして、全くダメだと感じたのが、p170での再開発ビル批判で「歩いているのは観光客や中国人くらいではないか」のほか、「客単価数万円も必要な店で、観光客や中国人が周りでざわつくような雰囲気だったら行きたいと思うか」という記述。著者は明らかに「NO」の文脈で書いているが、余りに偏見に無自覚だ。「観光客」はともかく、「中国人」という言葉を「ユダヤ人」「日本人」とか置き換えれば分かるだろう。歌舞伎町や和光前によくいそうな成金チックな集団を、著者はイメージしていたのだろうが、「中国人」でひとくくりにする中には、魯迅から和光前のおっさんまで色々いる。著者だって、大嫌いなマスヒロ氏と「日本人」でひとくくりにされたら憤慨するのではないか。「タダ飯授受が当然」と、前段で日本のグルメ出版界のジャーナリズム精神の欠如をさんざん批判しているのに、「中国人=やかましい」という偏見を撒き散らしかねない、このような言辞はタダ飯ライターのヨイショ本よりはるかに有害だ。偏見や差別を含む言論はジャーナリズムではなく、単なるペンの暴力に過ぎない。
味覚や民族など本人の努力ではどうにもならない点が多い要素で叩くのは、「毒舌」ではなく「悪口」だ。辛口批判で鳴らすならなおさら、その一線に敏感であってほしい。店舗や食材偽装の批判など、その他の内容はよかったが、「『柔らかくておいしい肉』は嘘」や「自称10万軒訪問ライター」「電話話し中満席偽装」など「
グルメの嘘 (新潮新書)」とダブるエピソードも多かった。同書を読んだ人は新味に欠くかもしれない。