主人公はかつてアメリカの繁栄の象徴だったデトロイトで自動車組立工を勤め上げたポーランド系。イタリア系の床屋やアイリッシュ系の建設業者との交友があるが、これは20世紀アメリカの繁栄の下層を支えた、WASPならぬカトリック系の貧しいヨーロッパ移民の縮図に他ならない。しかし、現代の世代たる自分の息子たち孫たちとは深い溝があり、価値観を共有出来ず、偏屈で孤独な老人となってしまっている。
主人公の「隣人となった」モン族とは、ベトナム戦争でアメリカに協力し、戦後難民となってアメリカに逃れて来た新しい移民だが、特に2世3世の男の子は社会に適合することのハードルが高く、「女は大学に行くが男は刑務所に行く」と自嘲する。さまざまな軋轢を抱えながらもアメリカ社会に溶け込もうとする彼らに、主人公は次第に共感を覚えて行く。
主人公は朝鮮戦争でアジアの若者を「13人殺した」ことが心の咎となっているが、最後の懺悔でもそのことには触れない。神に許しを請うまえに自分で自分を許すことが出来なかったのだろう。そうして、親しくなったモン族の姉弟を救済すべく、自ら「磔」となる。その、あまりにもキリスト教的な自己犠牲の精神は、しかし、一方では新たな移民を受容して活力を取り戻そうとする新たなアメリカへの展望を感じさせるため、エンディングは悲劇的な色彩ではなく、厳粛さとむしろやさしい希望の光に包まれている。
出演しているモン族の役は、中国系の俳優などではなく、オーディションで選んだ、演技経験のほとんどない全て実際のモン族移民の人たちによって演じられている。米国人には通じない彼らの言語での「おしゃべり」がとても効果的に挿入されている。
俳優としても、監督としても、クリント・イーストウッドは達観したような飄々とした空気感を醸し出し、しかし、的確にツボを押さえた展開で、観るものをこの苦い贖罪と穏やかな希望の絡んだ物語の世界に引き込んで行く。特に俳優としては、これまでの集大成とも言える見事な作品だと思う。長い余韻を残す味わい深い傑作と言いたい。