この「グッドラック」で描かれてる「別れ」は、飴玉の唄や車輪の唄で描かれたような(暗に死別を含む)出会いの対義としての離別ではなく、むしろ「親離れ」とか「子離れ」といった、精神的な「独立」によるものであるような気がします。
初期の名曲「title of mine」にあった「その手に触れていつか離れる時が来るのが怖かった」という歌詞と、この「グッドラック」にある「手と手を繋いだら、いつか離れてしまうのかな」という歌詞を見比べた時、私はBUMPの確かな成長を感じました。
orbital periodまでのBUMPは、リスナーが藤原さんに、そしてそれ以上に藤原さんがリスナーに「依存」していた面がありました。
別れるくらいなら出会いたくないとさえ思ってしまうほど臆病だった彼が、それでも他者を求め続ける内に、次第に別れを真正面から見つめ、受け入れることが出来るようになり、最新アルバムCOSMONAUTではついに「いなくなるのなら、いたこと知りたい」と、芯は変わらないままに全く逆の想いを持てるまでに強くなった。
そしてこの「グッドラック」では、初めて自分から「別れ」を選んでみせました。
正確には今までも別れを選ぶ歌はあったのですが(「涙のふるさと」など)、必ず「待ってる」「帰る場所がある」という言葉とセットだったんです。
でも、今作ではそうした言葉は一切出てきません。
ただ、その代わりに、「一人じゃない」という言葉が頻繁に登場します。
お互いの孤独を埋めあうように側にいてくれた人が、自分から離れて己だけの道を歩み出そうとするのを、「ずっと待ってる」「いつか帰ってきて」と縋り付きたいのをぐっと堪えて、その人の幸せを祈りつつ静かに見守り、自分も自分だけの道を歩き出そうとする、そんな歌です。
だから曲調にも歌声にもどこか寂しさが漂うのですが、その裏側には「待つ必要も、帰ってきてもらう必要もない。だってずっと共にあるんだから」という暖かなメッセージが込められています。
藤原さんにとって今まではどれだけ近くてもあくまでも外側にあった他者が、長い時間をかけて今ようやく確かに内側に住み着いたのだろうと感じました。
未だ「BUMP離れ」出来ていない私は、未練たらたらな相手にこの上なく優しく微笑んで手を振られたようで悲しくなったりもしたのですが、そんな気持ちでカップリングの「ディアマン」を聴くと、やっぱりBUMPは昔のまま、自分と同じへなちょこのままで、自立はしてもけして置いてきぼりにはせず、こちらが望む限り必ず側にいてくれるのだとわかって、深い安心感に包まれました。
各曲の良さもさることながら、グッドラックからディアマンへ、というこの流れが秀逸です。
前作ゼロのようなキャッチーさはないですが、近年のBUMP OF CHICKENの完成形と言うべき一枚だと思います。