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最も参考になったカスタマーレビュー
9 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
貴重な私小説,
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レビュー対象商品: グスタフ・マーラー―愛と苦悩の回想 (中公文庫) (文庫)
私は本書を単行本で、約25年前に買った。しかし、読んだ記憶はない。とくに専門的な知識が必要な本ではないのに、これを読むために必要な背景知識すら、当時の私にはなかった。<br />本書は回想記としての体裁であるが、おそらく事実は、グスタフ・マーラーの妻であったアルマが書いた、グスタフ一家を主人公とする優れた小説、なのであろう(単行本にはこれに、どれほど脚色したか不明な書簡集がついている)。妻が日記を元に書いた回想記だから一級資料である、というおめでたい考え方には、私は賛同できない。たとえこれが一級資料には違いないとしても、それは本書の内容が他著の引用ではない、という定義上の理由に尽きる。 <br />私は、アルマのような女性が、事実をいかに一瞬のうちに自分の都合のいいように歪曲して解釈するか、あるいは、自己弁護のためならいかに易々と嘘を並べるか、よく知っている。しかも、本人にそうした意識はまったくないから、事情を知らぬ他者には、これらは事実として堂々と通っていく。つまり、日記に事実が記載されている保証はまったくないし、まして後年に日記と記憶とを参照しながら書かれた本書が、さらに大幅な脚色を経ている可能性は、限りなく大きいと思えるのである。 <br />しかし、本書を事実に基づいた創作として読むなら、これは大変興味深い作品である。文章力も大したものであり、訳文もこなれていて読みやすい。記録ではなく、文学(一種の私小説)としての価値は高いと考える。
3 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
マーラーの文献としては………。,
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レビュー対象商品: グスタフ・マーラー―愛と苦悩の回想 (中公文庫) (文庫)
妻アルマの書いた文章ですが、事実と食い違うところがいくらか見られるそうです。それはアルマの記憶違いによるところが大きいようです。したがって、作曲過程などについての文献としてはあまり用をなさないと思われます。ただし、2人がどう出会ったのかなどの私的な内容は信用できるものですから、伝記としては資料になると言えます。あとは読み物としてどうかということ。翻訳もこなれていて、簡単に読めるのがいいですね。読んでいてそんなに退屈するものではないです(音楽用語がしばしば出ているので、予備知識はもちろん必要ですが)。
5つ星のうち 5.0
漱石の『こころ』を思ひ出させられる亡き人への回想,
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レビュー対象商品: グスタフ・マーラー―愛と苦悩の回想 (中公文庫) (文庫)
下手な恋愛小説より、この本の方がずっと面白いのではないだろうか。マーラーの夫人であったアルマ・マーラーが、マーラーについて書いた回想の書であるが、読み始めてすぐに思ひ出したのは、漱石の『こころ』の第一部である。『こころ』の主人公であるあの若者が、先生との出会ひを回想する個所と、この本の著者アルマが、ウィーンでのマーラーとの出会ひを回想する箇所が、不思議に似て居る様に感じられたのである。生きて居る人間が、亡き者を回想する時の類似なのだろうか?このアルマ・マーラーの本について、吉田秀和氏は、著書の中でこんな興味深い事を書いて居る。 「グスタフ・マーラーの人柄、生活ぶり、音楽その他についての考え方、それから彼をとりまく環境−−友人、同時代の音楽生活の有り様などを書いたものとしては、何といっても約十年の年月をいっしょに暮らしたアルマ・マーラー夫人の『思い出』が広く知られている。たしかにこれは大事な資料だし、書き手の性格を反映して、読みものとしてもとてもおもしろい。日本でも、これまで、二種類の翻訳が出たのも当然である。だが、彼女の本は魅力的であると同じくらい、書き手の強烈な主観を通して下された判断が多くて、時々、真相は果たしてどうだったのだろうか?と思わせられることがある。マーラーについてはもう一つ、ナターリエ・バウアー・レヒナー(Natalie Bauer-Lechner)という女性のものがあり、こちらは彼がアルマと結婚するまでしか扱ってないが(つまり≪第五交響曲≫に手をつけだしたところまで)、それをおぎなってあまりあるほどの長所をもっている。というのは彼女はアルマと逆で、マーラーの言行を忠実に書きつけるのを旨とし、しかも元来が日記体なので時間による記憶のずれが非常に少ない方法をとっていた。(だから、多くの人が彼女をゲーテに対するエッカーマンにたとえてきたくらいだ)その上、彼女がマーラーに対して抱いていた献身的敬愛の情は並大抵のものではなかったので、マーラーの言葉を書きつける時でも、ただその上っつらを文字にするというのではなく、その深い意味までじっくり考えた上で、それをできるだけ誤りなく伝えようと努力しているのが、読んでいて、よくわかってくる。『愛』がなければ理解は完全ではないが、愛だけでも足りない。そういう意味での『忠実な理解者、伝達者』であろうとした人の本といってよい。これまでも、マーラーの生活、特に≪第一≫から≪第四交響曲≫までを扱った重要な文献には、彼女からの引用が必ずといっていいほど出てきたのも、このためにほかならない。」 (吉田秀和『マーラー』(河出文庫・2011年)9〜10ぺージより(この文章の初出は1989年2月21日朝日新聞)) この本を読んで居て感じる事は、書き手のアルマ夫人の知性の高さである。彼女は、文学的資質に恵まれた人だったのだろう。だから、この本は、小説の様な面白さに溢れて居るのだが、資料としてこの本を読もうとする場合には、注意が必要だと思はれる。一つの小説として読むのもいいのではないだろうか。 (西岡昌紀・神経内科医)
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