旧版が手に入らず、ずっと見たいと思っていた作品が、再販された。
惜しむらくは、劇中チベット人も中国人もみんな英語で話すことだが、
やはりチベット人はチベット語で、中国人は中国語で収録して欲しかった。
活佛であるダライ・ラマ14世が、チベットのある村に輪廻転生されて、
高僧に見出されてから首都ラサへ赴き、中国によるチベット侵略、
インドへの亡命までを描く。
中国によるチベット侵略はそれはそれは凄惨を極めたという話だが、
この映画では、一瞬それをイメージさせるシーンはあるものの、
あくまでも詩的描写に留めている。
チベットは必ず良い方へ向かう。
劇中、ダライ・ラマがすべてのことには原因があると言った。
それを聞いていた側近が「私たちに侵略される原因が…?」
と返した。ダライ・ラマは無言であった。
私の注釈だが、チベットは攻められる原因を作ったのではない。
目の前の現実しか見えない者には不条理に見えるかもしれない。
しかし、この世の悪を炙り出すため、天はチベットに重大な任務を命じられた。
劇中、こんな場面もある。それはダライ・ラマが読んでいる経である。
三世を見通す「観自在菩薩」について書かれてある経であった。
これは深い意味を持つシーンである。
三世(過去・現在・未来)を見通すと言われる観音の神通力は、
何も架空の絵空事ではない。
高い霊性を持った人間(菩薩)に宿る現実に存在する能力である。
ダライ・ラマにはチベットの未来が垣間見えていたと思う。
永い時の流れの中で、チベットが受ける屈辱は絶対に無駄にはならない。
やがて中国にはその侵略の反作用が必ず襲ってくる。
それには時間がかかるがこれは絶対的な宇宙の真理である。
そのために、チベットは歴史的な役割を果たす使命を天から
与えられている。
劇中、毛沢東はダライ・ラマに見当違いな忠告をする。
「ひとつ学んでほしい。宗教は阿片だと。」
宇宙の真理を正確に捉えた宗教は阿片ではない。
学ばなければならないのは毛沢東であると思った。
日夜、チベットの苦悩からの解放を祈る。