「専門家コミュニティがその知識と技術の粋を尽くして予測と対策を講じても、また、既存の災害事例をすべて渉猟し、すべての専門家、住民の意見を聴取し、すべての関係者が合意を形成したとしても、その死角から社会を襲ってくるのが災害-特に、「未曾有」と形容されるような災害-という現象である。P.34」ので、「「クロスロード」において参加者たちが出会う他者がもつ偶有性は、未来における災害がもつ偶有性の機能的代替物」として有効である。
また、「「クロスロード」という呼び水を利用することによって、町歩きなど、地域に目を向けてもらうために従来から活用されてきたツールの効果性をいっそう高めることができる・・なぜなら、何のために(何を知ろうとして、何を解決するために)地域を歩くのかを、「クロスロード」の体験が、予め明確にしてくれるから。p.63」こうして「クロスロード」を特定の地域における具体的な問題解決へと接続できるのである。p.63」
一番重要なのは、クロスロードゲームは「既存の知識(多くの場合、専門家や経験者が産み出した知識)を受動的に受容するという学習観との訣別・・・そこからの発展と飛躍。P.188」をするために、「自ら考え、調べ、たしかめ、工夫し、発信するという、主体的で、参画的で、継続的な一連の活動p.188」「自ら学習する活動を生みだし続けるツールp.188」として威力を発揮するということだろう。
クロスロードゲームには共同体再構築のための武器としての可能性がある、災害や食品リスクといった危害に関する本なのに読むとなぜかわくわくするのはそのせいだろう。我々は自ら学び、自ら参加し、互いに共感し、協力して世界を切りひらいていくことができるのだ。