いくらおもしろくても、同じことの繰り返してつまらなくなってしまうこと。それを一般的には「マンネリ」という。
あだち充の長編作品は、たしかに「同じことの繰り返し」である。野球、恋、少年、幼なじみ、天才、ライバル。
これらの要素に、例えばあと「双子」を付け加えたら「タッチ」であるし、野球を「水泳」に変換すれば「ラフ」になる。
では彼の作品群は「マンネリ化」しているのかというと、そうではないと思う。
なぜなら、相も変わらず私たち読者は、彼の作品世界に引き込まれてしまうからだ。
彼のやっていることはマンネリではない。
それはひとつのスタイル、十八番というやつだ。
我々読者はあだちのマンガが、彼独特ののほほんとしたストーリーテリングと、シリアスな場面はシリアスに描く
その緩急の使い分け―名づけるならば「あだち節」―を求めているのではないかと私は思う。それはもう依存症のごとく。
その「あだち節」と同時にあだちファンが彼のマンガに求めているもののもう1つは、ノスタルジーあふれる「羨ましいシチュエーション」だ。
私たちは、「自分もこんな青春すごしたかった〜」と羨ましがりながらあだちマンガを読みたいのである。
しかしだ。そんな中でも今回の「クロスゲーム」の第一巻、なんだか「変」だ。
ふつう羨ましがるにも段階が必要だ。
これまでの作品では、はじめは主人公たちの人間関係も、恋の行方も、もっとギクシャクしていて「先行き不透明」ではなかったか。
だのに今回はいきなり「フルスロットル」。この作品にはすべてが満たされた(ように見える)世界が広がる。
読者はもうすでに一巻において羨ましいどころか「羨ましすぎるシチュエーション」が出来上がっているではないか、と思うのである。
すべてを読み終えるまでは。
あまりにも当たり前すぎて、そのかけがえのなさに気づかなかったもの。
その喪失からこの物語は始まる。