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『クリニック・クリティック―私批評宣言 』の教訓,
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レビュー対象商品: クリニック・クリティック―私批評宣言 (ミネルヴァ評論叢書・文学の在り処)
例えば、文学とは何か? という問いがある。それは芸術とは何か? でもよい。文学あるいはそれをとりまく制度は、その問いを迂回、もしくは遅延させることで成り立っている。文学を問い、探求すること。それは起源を希求することでもある。だが実はポストモダンを経由した者は誰もが、その文学の起源の不在を察知している。起源の不在をうすうす感じながら文学を探求すること。このことは作家や研究者を延命させる役割を担っている。千葉が「中心の不在あるいは殉死者芥川」で芥川を批判したのは、彼が「無根拠の中でしかもそれに耐えながら行動の選択をするという倫理的態度」に耐え切れず、根拠=起源を求めた時であった。芥川が至った自死という選択は、漱石という父の超克の回避、大正天皇という不在として存在する対象を回避することによる論理的帰結だったと千葉は述べる。そして千葉は「文学の位置―森鴎外試論」で鴎外を論じながら、晩年史伝物に収斂して「解釈を拒絶して動じない」歴史の中の閉じた他者を描き、それに殉じて作家としての主体を構築するに至った鴎外の作家的側面を批判している。その鴎外の態度は、マスターナラティヴを構築して自らをフェティシュな存在に自己合理化した結果であったと言えよう。文学とは一方では実在するものでありながら、しかしその一方無根拠であるというアポリアを現前させ、その受難を耐え忍ぶという、あまりに倫理的な姿勢を打ち出した点は賞賛に値する。「虚構を虚構として認めつつ、その中で狐疑し、逡巡し、何の支えもなく、救済もなく、それでもある選択肢をなすことが文学」であるという言葉は心を打つものがある。私は文学が抜け抜けと悪しき形で蔓延していると、昨今つくづく感じているが、それは単純に文学が消費財と化し、容易に金銭と交換することが可能であるからなのだろう。文学の無根拠さを自覚し、かつもう一度文学を問い直す強度が必要となろう。
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