雑誌『レコード芸術』を捲ると、そこには、「批評」という衣をまとった商品の宣伝文がところせましと掲載されている。
そこには、「先生」といわれる批評家達が、その世渡りの叡智を最大限に発揮して、視聴用に配布された商品を行儀のいいことばでひたすらに褒めあげる姿を観察することができる。
数十年にわたり延々とつづいてきた、そうした空疎な音楽批評に対して挑戦状を衝きつけたのが、許 光俊や鈴木 淳史等の1960〜1970年代生まれの人たちである。
青弓社から一連の関連著作を出版して、旺盛に活躍しているが、個人的には、実はこうした新世代の著書の内容に対してもどこか物足りないものを感じている。
彼等は、鋭敏な思考と感性を駆使して、これまでの世代が蔓延させてきたクラシック音楽をとりまく行儀のいい幻想や幻影を批判・嘲笑する。
そうした文章はわれわれ読者に新鮮な痛快感を味合わせてくれる。
ただ、そこにはそれ以上のものは無いのである。
そこでは、対象を睥睨しながら、批評という行為にとりくむ著者の存在が肥大化されて前面に押しだされてくるのだが、そうした自己肥大の臭いを漂わせた文章をいくら読んでも、読者はひとりの音楽の愛好家として自己の糧としたい叡智や洞察を見出すことができないのである。
そして、そうした空疎さとは、また、これらの著者が自らが真にコミットしている価値を明らかにすることを巧妙に回避していることから立ち上がるものなのであろう。
結局のところ、彼等にとっては、音楽を聴くという行為は――そして、音楽を語るという行為は――遊戯でしかないのではないだろうか……。
少なくとも、わたしは、彼等の著作を読んで、そんな寒々とした感想をいだいてしまうのだ。
もちろん、必ずしも全ての著作がそうした嫌味をたたえたものではない(例えば、許 光俊の光文社新書の作品は内容的にとても優れていると思う)。
しかし、そうした遊戯と嘲笑の精神が、この世代の批評家を特徴づけているのは紛れもない事実だと思う。
この作品は、そうした批評家の共同執筆作品であるが、残念ながら、そうしたつまらなさが露骨に出ているように思われる。
「入門書」であるはずなのに、それは、音楽そのものに是非アプローチしていきたいと思わせるワクワクするような期待感をあたえてくれないのである。