クトゥルー神話はその草創期においてさえラヴクラフト一人のものではなかった―本書はこのことにあらためて気付かせてくれる一冊である。
ギミックを交換しあうことで作品の世界観を共有しようというラヴクラフトの提案に当初から熱心に加担したクラーク・アシュトン・スミス、ラヴクラフトやスミスの才能にいち早く気付いた『ウィアード・テールズ』初代編集長エドウィン・バード、バードの後を引き継いでラヴクラフトが見出した新たな才能にも発表の場を与え続けたファーンズワース・ライト、ラヴクラフト・サークルの俊才にして没後にその師の作品を観光し続ける一方、クトゥルー神話に(暫定的な)体系を与えたオーガスト・ダーレス、そして本書(原書)を著すことで70年代以降のクトゥルー神話隆盛の礎を築き、さらに実作者として、あるいは出版人として神話世界の充実に貢献したリン・カーター……私たちはラヴクラフトを畏敬するあまり、ともすれば、彼らの業績に対し黙殺や侮蔑、過小評価をもって答えてはいなかったか。思えば、彼らの功績がラヴクラフトの陰に隠れがちなのは彼らが本質的な謙虚さを持っていたからではないだろうか(自己宣伝に走りがちと評されるリン・カーターでさえ!)。本書は私もしばしば犯しがちな忘恩に対し反省を迫る一冊でもある。
そして、カーターが描きだす、ラヴクラフトとそのサークルの面々との心の交わりのなんと美しいことか。ラヴクラフト・サークル内の連絡は主に文通と相互の作品の購読によって行なわれ、ラヴクラフト本人と直接の面識をついに持てなかった者も少なくない。それにも関わらず、彼らは緊密な連携を持ち続けていた。それは現在のSNSやツィッターを思わせるところがある。現代のネットワークはwwwに支えられているが、クトゥルー神話草創期を準備したネットワークはHPLに支えられていたのだ。
この翻訳には訳者・竹岡啓氏によるカーター再評価の一文と観訳者・朝松健氏による本書改題が付されている。それを合わせて読めば、長らく未訳だった本書(原書)が日本にも大きな影響を及ぼしていたことがよくわかる。本書(原書)なかりぜば、私たちは蔭洲升や夜刀浦を訪ねることもニャル子さんやテケリさんルルイエ・ルル様と出会うこともなかったかも知れないのである。