本書が南米文学的だというのではありません。本書に描き出される現在のギリシアの光景が、まるでマルケスやボルヘスなど南米文学のような幻想的な印象を与えるのです。「シュール」という言葉は、著者のインタビューを受けたアテネ在住の婦人の発言。起こっていることをテレビで見ながら、国民でさえ、「シュール」「ドラマ」と言ってしまう。
情報省の役人の、国の統計はあてになりません(p64)発言に続いて、財務省と内務省が「全ギリシア初の全公務員リストを作成するため7月に調査を始める(p65)」と発表し、その実態について労働省の役人がこう述べる。
「前から同じポストにいた人はどうなるかと言うと、解雇されず、別のポストに行くか、ひどい場合、同じ局長ポストに2人がいるなんてこともある。当然2人分の仕事は無いから、前の人は職場に来なくなり、給与だけもらい続ける幽霊公務員となる。私たち労働省の中でも全体の職員が何人いるか、どういう構成なのかよくわかっていない」
うーん。なんてシュール。そして、以下のように続く。
「基礎となる公務員の数さえもはっきりしていないのだから、ドイツのメディアのように何でもギリシャの政府統計やそれを基にしたOECDの数値で、「ギリシャの公務員は平均給与が高い」「年金もらいすぎ」と言うのはどうかと思う。根拠となるデータがいい加減なのに、それをもとに善悪をきめつけたり、白だ黒だというのは変じゃない?」
役人なのに調べようとしないのかしら?本日の毎日新聞に、国民の苦しい生活が一面に掲載されていました。同時に、増税したら脱税が増加し税収が減った、という話も。一方先週の読売新聞(だったと思う)では、「52歳で早期退職し、今は失業した家族を養っていて大変」と出ていた。今は大変かも知れないけど、52歳で早期退職して年金もらって、これまで楽してきたわけでしょ?と突っ込みたくなる。悲惨さと滑稽さが同居する世界はまさに南米文学な世界。
朝鮮戦争やベトナム戦争と比べると知名度は低いが、ギリシアは第二次大戦後、共産主義と右翼独裁政権の内戦となり、その後も軍事独裁、社会主義政権と、極端な道のりを歩んできたギリシア。著者が冒頭で言及した映画「旅芸人の記録」の世界が今なお続いているように思える。
以前シチリアを扱った書籍で、「支配者は来て、やがて去ってゆく。我々はずっとここで生きてゆく」というような文章を見たことがあります。外国人に踏みにじられ続け、「近代国民国家」さえもかつての支配者のように、信じられない心持が少しわかりましたが、本書を読んで、ギリシアもそうなのかも。と思えました。
累積債務が多いからといって、日本とギリシアは違うことは良くわかりました。しかし、誰かの責任にし続けて現実を見なかったり、良い思いをした時もある事を忘れて一方的に苦しい現状ばかりを主張していると、日本もシュールな世界になりかねない、とも思った次第です。
追記 11/2 ギリシャ二年債の入札金利が106%を突破したとのこと。この数値もシュール。