黒沢清の『CURE』とか、サイコサスペンス映画の中には面白い作品も一定量はあるのだが、面白くなくただ単に
「サイコサスペンスっぽい体裁」を整えることに終始してしまう作品もある。
この作品は残念ながらその後者。
「サイコだから」動機がわけ分からん。「サイコだから」トリックの種明かしもされない。
このジャンルの作り手が戦わなければならないのは、この「サイコだから」ということが免罪符となることで、
サスペンスとしての基本的なことが押さえられないままに、何でも許されてしまう世界観と物語を増殖させたくなるという誘惑だと思う。
この映画の作り手たちは残念ながらその誘惑にまけてしまった、といっても過言ではない。
確かに『CURE』も、劇中で何から何まで謎が解き明かされていたわけではない(むしろあの映画で萩原聖人の起こしたことの
すべての謎を役所浩司が解き明かしていたらつまらなかっただろう)。
面白いサイコサスペンスは、見終えた後にそれら解き明かされなかった謎が、
私たちの心の中で独特の「後味の悪さ」を醸成してくれる。
「半分はわかって、半分は分からない」こと。
それこそがサイコサスペンスの醍醐味ではないだろうか。
どうでもいいが、妙にテカテカした頭の俳優がいると思ったら、鳥肌実だった。