「波羅蜜」が、今にも映画化されてしまいそうな、いい意味で俗臭に塗れた小説だったのに対し、こちらは何とか俗なことから離れ、無になろうとしてなれずにいる中年作家の物語だ。何しろ、宵闇に紛れて迷い込んだ禅寺の境内から始まるのだから……。
北鎌倉辺に住み、近くの飲み屋にたむろしている男たちと鎌倉の心霊スポットや、セザンヌや北斎の話をして、ひとり住まいの古家の風呂場に這う土蜘蛛を見つめたり、この家にふらりとやってくるまるで幽霊みたいな女と関係を持ったり。たまに渋谷で若い編集者と打合せをして、鎌倉か新潟を舞台にした近未来小説を書いてくださいと言われて苦笑したり。その間に作家は、さまざまな幻覚を見たり、妄想に捕われたりしつつ、自分の中の何かが狂っていくのを感じている。さながら平成版の芥川龍之介「歯車」という赴き。何しろタイトルの「キルリアン」というのは生体や幽体のオーラを写すキルリアン写真、という言葉から来ているそうだから。
藤沢ファンにとってはおなじみのモチーフが次々に点滅する。ピースを吸う禅僧、女の脱いだハイヒールの内側のまあたらしいラベル、唇のグロスに貼り付く髪、新潟の浜にあがった女の溺死体、鎌倉の化粧坂の落ち葉の堆積した泥濘で女を殺した記憶、油っぽい煙のたちこめる居酒屋の、喧騒から聞こえてくる雑多なお喋り、葉先に溜まった滴の表面張力の中に閉じこめられる宇宙……。
たまたま自分がドビュッシーの中で一番好きな「雪の上の足跡」というピアノ曲(四分程度の小曲)に触れられていて、主人公は「ドビュッシーは胸がねじ切れそうになるほど切なくて、狂いそうになる……」「世界を纏っていた俺が」「言葉を纏っていた俺が」と呟いたあと、言葉を纏う以前の幼い日の、新潟の鉛色の空の下の雪原の幻覚を見る……。小説を読んでいる時、ふいに訪れる何ものにも代え難い瞬間。