プッチーニのオーミオバンビーノ・・は、好きな映画でよく耳にする。片岡鶴太郎の「異人たちとの夏」やジェームス・スペイダーのホワイト・パレイスが頭に浮かぶ。映画の全体の内容を暗示していたり、象徴していたりする。(詩を日本語に訳したものを見ないとわからない)このCDには蝶々夫人もあるから、オペラの中の日本を鑑賞するには薦めたい。映画でこれだけ使われるのは、”G線上のアリア”みたいに、やはり曲が映像的なのだろう。光景が目に浮かぶ。クラシックの入り口としてはこういうのが一般的なのではないのか。映像的とは絵画的という意味で、曲や詩が映像を呼び込むのである。ところで、話は飛ぶが、オランダ、17世紀の画家、フェルメールもその絵の中で、リュートやシタールといった楽器が多く登場する。うまく説明できないが、これらの楽器はとても絵画的なのだ。絵なのだから絵画的はあたりまえだと言われそうだが、そうではない。楽器の音(音楽)と絵が溶け合っているという意味である。詳しくは「宇宙に開かれた光の劇場」上野和男・著を読めばわかるだろう。それから映像そのものと言っていい”仮面”について、これと関連付けて理解したいなら、同じ著者の「縄文人の能舞台」をお薦めしたい。手前味噌でごめんなさい。