キリシタン史とは、「遠い昔の、九州の一部の地域を中心とした出来事」程度にしか実感していなかったが、その主因の一つは、「それが徹底的に抹殺された歴史であったからだ」ということを、本書を読んで改めて感じさせられた。そして、本来、それが「世界史の中のキリスト教史」や「日本史」の中に、キチンと位置付けられるべきものである、ということを理解するに至った。
のみならず、キリシタン史の中で、名も記されず、殉教(もしくは棄教、あるいは隠れ化)していったキリシタン達の姿を追いながら、自分自身が信仰告白を決心した際のことを今一度想起し、私も、この「キリシタン史」に時間を超えて連なる者である、という認識に目を開かれた。また個人的には、地下洞窟での秘密礼拝所を巡るシーンが圧巻で、ここでもやはり、ローマ時代のカタコンベや、ビザンチン時代以降のカッパドキアの地底都市等と、時空を超えて繋がるものを、キリシタン史が保持していることを思い知らされた。
他にも、文人としての著者の文学界における交流話が垣間見られたり、「キリシタンの祟り」という表現を巡るユーモアとウィットに富んだ著者の語り口等、この本を読むに際しての楽しみは尽きない。