まず始めに、この映画は観る人を選ぶ映画だ、と言っておかなくてはいけないと思う。原作ジム・トンプスンのファンならOK。しかし、人間の心の暗い部分を暴きたて、肌の下に潜り込み神経を逆撫でするような映画は苦手、という方にはオススメできない、と。それを前提にしたレビューになります。
ひょっとしたら、主人公ルー・フォードの狂いっぷりは、小説よりも映画の方が上かもしれない。
そんな風に思わせるくらい、ケイシー・アフレックのハマり具合はハンパじゃなかった。
「なるほど、こいつがルー・フォードか・・・!」
原作を読んでいて、知っていたつもりだったが、何と言うか・・・新聞記事で読み知っていたウワサの殺人鬼に、ついにご対面してしまった、そんな感慨があった。もう最初に結論を云ってしまおう。こいつは最高のジム・トンプスン映画だ。
当初、こんな書き出しをする予定だった。「問題はただひとつ、ジム・トンプスン映画になっているかどうかだ」。そんな言葉は愚問もいいところなのでやめた。最高だ。最高にCRAAAAAAAAAZY!
ソウル・バス風デザインのオープニングにかかる、リトル・ウィリー・ジョンの「FEVER」からもう脳みそをトンプスンワールドに持っていかれる。あとはひたすら全篇、トンプスン臭をまき散らしまくり。全身に染み込んでもう少しで還ってこれなくなるところだった。おかげで翌日、ジーンズを洗ってしまったぐらいに(臭かった)。
原作者ジム・トンプスンは1950〜60年代を中心にダイムストア(安物雑貨屋)で売られていた“読み捨て”ペイパーバックを書き散らしていた「パルプ・ノワール」の作家。
「心の潰瘍をさらけ出し、邪悪な衝動を告白」する主人公の赤裸々な内的葛藤を描いた物語群は評論家ジェフリー・オブライエンによって「ダイムストア・ドストエフスキー」と命名され、'80年代半ばに再評価。わが国でも世紀末が終わろうとしていたまさにその瞬間、たて続けに邦訳刊行され、ミステリー・ファンの間でブームを巻き起こすという、うれしい事態となった。
トンプスンの映画化作品は、幸福なことに傑作が多い。「ゲッタウェイ」「セリ・ノワール」「アフター・ダーク」「グリフターズ」・・・しかし、一方でほとんどの映画は、監督のカラーに染まってしまい、トンプスン色が薄れてしまうのが残念なのも事実だ。トンプスン小説の中にのたうつ、あの「狂気」の肌触りが消えてしまうのである。
「キラー・インサイド・ミー」(原作邦題「おれの中の殺し屋」a.k.a.「内なる殺人者」)映画化!の報を聞いたとき「やった!」という喜びの一方で「ところで、誰がカントク?」という不安がファンの頭の中に誰しもよぎったのではないだろうか。
しかし、その不安は見事に雲散霧消した。ジャンルやスタイルに捉われず、実に器用に映画を撮り続けている才人、マイケル・ウィンターボトムは、今回の映画化にあたって、自らトンプスン・ワールドに「隷属」したとしか思えない。
「私にとって興味深かったのは、トンプスンが“人は破壊する”という観点でこの世界を描いていることでした。それは全てを心理学的に説明することはできない・・・こういうことは“ただ起きてしまう”ということでしか説明できないのです」
オーケイ、マイケル。あんた最高よ。
本作の主人公、保安官助手のルー・フォード(ケイシー・アフレック)は、ものごしが柔らかく愛想のいい、評判の青年。しかし、彼の心の奥底には「もう一人の自分」が眠っている。そしてある事をきっかけに、それは目覚めてしまい・・・
原作は、主人公の一人称の視点で語られる。その言葉は正気か狂気か・・・?読者は語り手ルー・フォードの「かたり」に用心しながら読み進めなくてはならない。
一方映画では、時おり主人公のモノローグが挟まれはするが、観客は基本的に「客観」的に描かれる主人公の姿と行動を見ていく事になる。
その「何を考えているか判らない」ルー・フォードの表情、物腰。コワイ・・・コワイよ!
そして突然、何の前ぶれもなく爆発する暴力。その暴走っぷりは見ていて背筋が寒くなる。
他のレビュアーの方が指摘している通り、その描写は直接的で、しかもけっこうしつこい。特にジェシカ・アルバの顔を殴り続けるシーンは正直、観ている筆者も映画だと知りつつも、顔をしかめてしまった。アメリカのハードボイルドや犯罪小説を日本に紹介し続けてきた小鷹信光氏も、この映画の暴力描写は苦手だというような事を滝本誠氏との対談でおっしゃっていた。なのでそうした描写が苦手な方は、重ねて言うがこの映画の鑑賞は避けた方がいい、と言わせて頂く。映画の「狂気」にシンクロできる、あるいは大抵のものは笑って流せる方のみの鑑賞に限った方がいい、と思う。
ストーリーは原作にほとんど忠実に作られている。しかし、映画であるがゆえに小説との微妙な差異があり、その差異が演出・演技ともに見事な狂気の描写につながっているのである。
まさにこれぞ、映像作品となった純度100%のトンプスン・ワールド!