『キャンティ物語』となっていますが、話の中心はキャンティではなく、オーナーであった川添浩史の一代記と言えるものです。
キャンティは今も六本木にある老舗イタリアン・レストランで、チェーン店が何店舗かあります。
私が初めてこの店の名前を知ったのは、レストランの味ではなく、オーナーであった川添氏がブロードウエイ・ミュージカルの『ヘアー』をプロデュースし、出演者にグループサウンズのタイガースにいた加橋かつみ氏を抜擢したということを何かの雑誌で読んだことです。(この本を読んで実際のプロデューサーは、川添氏のご長男であったことを知りました。)
レストランのオーナーがミュージカルのプロデュースをするということが結びつかなかったので、どういうわけだろうという疑問を抱いていましたが、この本でほぼ納得を得ることができました。
川添氏は、後藤象二郎の孫にあたる方で、華族の出自です。
左翼活動を疑われて、パリに留学。しかし大学はすぐに辞め、ブラブラしていたというのです。
自由の都、芸術の都を存分に味わった極めて珍しい日本人であったのです。
その頃のパリは「ロスト・ジェネレーション」の時代。世界中から芸術家が集っていた時代です。
彼らと川添氏は決定的な違いがあります。川添氏は金持ちであり、パリの若き芸術家は貧しかったのです。
川添氏はそこで後の超大物達と交遊を広げます。最も親しかったのは、カメラマン、ロバート・キャパだったようです。
この人脈が後に生きます。
戦争間際に帰国した川添氏は高松宮の秘書という立場を得、「光輪閣」の支配人に収まります。
光輪閣は暫くの間、迎賓館の役割を果たした社交場でした。
公式の社交場としての「光輪閣」。これに対してプライベートな社交場として「キャンティ」がオープンした、という一面があるようです。
この店は、三島由紀夫や黛敏郎など当時の日本の芸術家を惹きつけます。同じように六本木界隈を遊び場にしていた、ミッキー・カーチス、かまやつひろし、加賀まりこなど常連となっていました。
1960年代の日本にあったエポックのような場所がキャンティでした。
惜しむらくは、キャンティという店が主役ではなくあくまで川添氏の物語になっていることです。
もう少し、キャンティという空間に視点がおかれていれば、といった印象は残りました。