『個性を煽られる子どもたち』『友だち地獄』などで、子どもや若者の心性の鋭い分析を提示した著者が、考察をさらに一歩進めた本。最近の若者の多くは、ケータイが「圏外」表示になると、何ともいえない不安を覚えるという。ケータイで親しい友人とつねに繋がっているはずの自分が、そこから排除されたように感じるからである。秋葉原事件を起こした犯人の青年Kも、ネット掲示板にケータイから書き込んだ自分のメッセージに、誰からもレスが付かないことに絶望したといわれる。ケータイは誰とでも繋がることのできる中立的な装置のはずだが、人間は自分に心地よい相手とのみ繋がる傾向があるので、そこに新たに成立する親密圏は、異分子を排除しようとする働きと一体のものであり、排除される者の孤独や絶望をつねに生み出し続ける。この新しい親密圏のコミュニケーションを円滑に行うには、気配りと細心の注意が必要であり、他者を傷つけない「優しい人間関係」を演じる「深入りし過ぎない自我」が求められる。そうした自我に対応するのが「キャラ」であり、「キャラ」は、対人関係に応じて意図的に演じられる「外キャラ」と、生まれもった人格特性を示す「内キャラ」との二重構造から成っている。従来の自我を表す「アイデンティティ」が、いくども揺らぎを繰り返しながら、社会生活の中で徐々に構築されてゆくものだったのに対して、「キャラ」は輪郭が明確で固定的であることを特徴とする(p24)。このような自我とコミュニケーションの変容が、モンスター・ペアレントの出現や、秋葉原事件のような自爆テロ風の青年犯罪などの背景にあるのだ。フィルタリングという技術に頼ったケータイ規制では、健全さと暴力性が紙一重であるネットの本質から生まれる病理現象を解決しないと、著者は言う。